昨年の夏に上映した、“神様のカルテ”。劇場で観たかったが、時間がなく見逃した作品。本も100万部のベストセラー、漫画にもなっている人気の作品。
DVDがでていたので、レンタルし、昨晩、鑑賞した。
映画の始まりは、実に“けだるい”。
どうしてかな?と
みていると、主人公・栗原一止(いちと)の様子が原因だ、とわかった。
彼は、信州松本にある本庄病院に勤務する内科医で、救急外来医であるので、ほとんど寝ていないからだ。
この病院、地域医療の一端を担うそれなりに規模の大きい病院。24時間365日などという看板を出しているせいで、3日以上寝ないことも日常茶飯事。自分が専門でない範囲の診療まで行うこともよくある。
そんな病院に勤める一止には最近、出身の大学病院の医局から熱心な誘いがあった。自分も先端医療に興味がないわけではないので、医局に行くか行かないかで一止の心は大きく揺れる。
医者の世界は、縦社会。「白い巨塔」の時代から、大学病院が強い構造は変わらず、在野の病院で働く医者は日の目が当たらない。
感動的なシーンが2つある。その中の1つを紹介。
1つは、栗原一止が住む御嶽荘(なぜか結婚しているのに旅館に住んでいる)の追い出し会。
この旅館に学生時代からいまだに住んでいるメンバーは、4名がいる。
ドクトルこと栗原一止とその妻。男爵、学士殿
。
男爵は、画家を目指し、夢を追いかけている。
学士殿は、文学をこよなく愛する文士。
今回、学士殿は、父の死で、田舎に帰り、母の畑を手伝う選択をした。
ドクトルの妻、榛名の案で、“門出の桜”を作り、再出発を祈った。
その時の会話が感動的。
学士殿:「自分の時間は終わりました。社会に出るよ。
ドクトル、君だけだよ。夢を実現できたのは・・・」
ドクトル:「ちがう
確かに、医者になれた。
だけど、何をがんばればいい?
毎日、働いても働いても、どんどん手からこぼれていく
救っても、考えないようにしても、命はこぼれていく、
こんなはずじゃなかったのに
毎日、迷っているよ
これでいいのか
自分のやりたかったことは
こういうことだったのか
でも、やりつづけてわかったことがあるよ
学士殿
学問を行う者に必要なことは、
気概であって、学歴ではない
熱意であって建前えではない
学問を究めようと思っているなら、農作業の合間だって
できるはずだ。
どんな有名な人の文章より、私は君の書いた論文が読
みたい。
誰にも恥じることはない。
僕たちの過ごした8年は、無駄じゃないんだ。
ドクトルの熱い言葉は、このストーリーで初めて登場。
そして、悩んでいる姿も伝わってきた。