釣りの神様 | 吝嗇TOPPER、怪魚を求ム。

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自転車と釣り竿をひっさげて、極力安く旅に出て、なるべくトップウォータールアーを使って、いろんな魚に会いに行って、生きて帰ってくるまでが僕の旅。ここはその備忘録。ホームは都会のオアシス多摩川。

仰々しい名前だけれど、今日の多摩川釣行記のついでに、今の僕の考えを書き留めておきたい。

釣り場のゴミについて。




釣り場にはこの様に必ずゴミが落ちてます。
ゴミのないつり場なんて無いんじゃないかな。
北海道の大自然の中でさえ釣り糸やペットボトルのキャップとか、ひどいものだとキャンプしたあとの空になったLPガスボトルだったりとか処理が大変なものも、、、

このままだと釣り場ゴミだらけでっせ。
台風の後の河原なんてゴミの山でっせ。
どげんかせんといかんと思うんですよ。

そこで僕が実践してるのがこの記事のタイトルでもある「釣りの神様」への御布施。

その内容は要はゴミ拾い笑

ただ、ゴミ拾いってしようしようと思ってもしないもんでしょ。
汚いもん。めんどいもん。
けど、それを釣りの神様への御布施と考えてせっせせっせとやる。

そもそもなぜゴミ拾いが釣りの神様への御布施なのかと言うと、ある釣り場に4日ほど遠征した時の出来事に始まる。
その遠征ではなかなか良いサイズのターゲットに巡り会えず、最終日を迎えてしまった。
その最終日の帰る時間の直前、釣り場に落ちてたジョージアかなんかの缶コーヒーのゴミが景色に凄く違和感を与えていて気になって気になって仕方なかったのでいつもはそんなことしないのに、何故か回収した。
綺麗なフィールドにゴミを残して置きたくなかった。

数分後、僕はその遠征中最大のターゲットを釣り上げた。
「おぉ!ゴミ拾いしてたの、神サン見てたんか!」
と感じた僕は以来、釣れても釣れなくてもなるべく釣り場のゴミをいくつか拾って帰る。
それをすると釣れる気がする。ジンクスとかルーティーンみたいなもん。ある種の宗教かもね。


動機が不純だ。と言う人もいるかも知れないが、少なくともゴミを無視するよりはるかにマシでしょ?

しかもこの釣りの神様への御布施は義務では無い。
やるときはやるしやらないときはやらない。袋一つ分拾う時もあれば、ペットボトル一個の時もある。
ゴミ拾いをもっと気楽に考えるってわけ。

こんなん全部はとてもじゃないけど拾い切れねーよ!って場所では、諦めるのでなく、たった一つでも良いから拾う。
これを大勢がやればそのフィールドはいつか綺麗になるかも知れない。
ゴミをポイ捨てするなんて言語道断だけど、残念ながら一部の人はしてる。
だからその分拾う人がいっぱいいれば良い。

この記事を何らかの手段で読んだ方は是非一度でも良いので試して欲しい。
あくまで気楽に。これが大事。




余談だけど、これはある種の釣れない日の言い訳になる。笑
事実、釣れなかったら「あぁ最近ゴミ拾いしてないもんなー。」って変に自分の中で納得するようになってる僕がいる笑

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