役者っていうのは人を演ずるのだけれど、
まず最初に対峙すべき己を知らなかった。
ここ最近立ちはだかる壁である。
これがまたとてつもなく大きい壁なのだ。
逆に、自分という生き物がとても興味深いものとなった、とも言える。
客観、俯瞰というのは昔からテーマの一つではあったのだけれど、
ただ悶々と主観込みの客観風で自分を見ていたのだなぁと。
心底思うのである。
やはり人との出会いというのは、己を知る最高の手段なのだと。
心底思うのである。
昔、ある人に言われた事がある。
「ダメな部分を直そうとするよりも、良い部分を伸ばす方が良いよ。」
と。
この言葉は最近まで思っていた意味よりも一段深かったのだ。
自分のダメな部分を打ちのめされるほどに思い知ったときに初めて良い部分に目が向くのだと。
自分のダメな部分、足りない部分を見ようともせずに良いとこだけ見るのはただの甘え。
自分はネガティブな人間だと思っていたけれど、
それは一抹の苦しみや悲しみに囚われやすいというだけのことで、
自分って本当にダメだなぁと思いながらも希望を抱いて生き続けている時点でポジティブ極まりなかったのである。
自分がいかに奥深いものであるかに気付くと、
人間てものは果てしなく奥深い生き物なんだとようやく気付きかけている、
今日この頃だ。
さて、今日の稲野辺祐二はどんな一面を見せるのだろうか?
充実とはこういうことなのかもしれないな。
最高の観察対象が自分なのだから。
まず最初に対峙すべき己を知らなかった。
ここ最近立ちはだかる壁である。
これがまたとてつもなく大きい壁なのだ。
逆に、自分という生き物がとても興味深いものとなった、とも言える。
客観、俯瞰というのは昔からテーマの一つではあったのだけれど、
ただ悶々と主観込みの客観風で自分を見ていたのだなぁと。
心底思うのである。
やはり人との出会いというのは、己を知る最高の手段なのだと。
心底思うのである。
昔、ある人に言われた事がある。
「ダメな部分を直そうとするよりも、良い部分を伸ばす方が良いよ。」
と。
この言葉は最近まで思っていた意味よりも一段深かったのだ。
自分のダメな部分を打ちのめされるほどに思い知ったときに初めて良い部分に目が向くのだと。
自分のダメな部分、足りない部分を見ようともせずに良いとこだけ見るのはただの甘え。
自分はネガティブな人間だと思っていたけれど、
それは一抹の苦しみや悲しみに囚われやすいというだけのことで、
自分って本当にダメだなぁと思いながらも希望を抱いて生き続けている時点でポジティブ極まりなかったのである。
自分がいかに奥深いものであるかに気付くと、
人間てものは果てしなく奥深い生き物なんだとようやく気付きかけている、
今日この頃だ。
さて、今日の稲野辺祐二はどんな一面を見せるのだろうか?
充実とはこういうことなのかもしれないな。
最高の観察対象が自分なのだから。