Twitterに書くと騒がしいので
たまにはブログに綴ってみようかと。
「推し」について
個人的にはアイドルヲタク始めた当初はこの「推し」という便利な言葉をそれなりに無造作に使ってたりはした。この子良いなぁとか、可愛いなぁとかの軽い気持ちでも容易に「推し」って使えた。
地下に通うようになって、認知があたりまえになると、何度会いに行って話す機会が増えてくると、そんな「推し」の中にも強弱がついてくる。同一グループの中にも1推しがいて、2推しがいてって感じで。
そんな中で一番が明確化してきて
◯◯では◯◯推し、みたいに、行ってるグループが複数あればそのグループの中に1人一番の存在が決まる。
放プリ通うようになり、対バンで被ったところいろいろ行って楽しくなってきた頃はそんな感じ。
その頃は仙台から通ってたからそんな感じだったし、当時から知ってる人は自分のこと一般的なDDだと思ってたと思う。
一ノ瀬杏樹
様相が変わってきたのはレディキス通いだしてから。特に最初に5人のうち2人が抜けたあとから「杏樹推し」になった。でもこれまでの「推し」とは違ってた。周りにさきのちゃんやひとみんをガッツリ推してるヲタクがいて、その推す気持ちの強さに触発されるかのようになった。杏樹との距離が近づきレディキスも大きくなるにつれて、杏樹が絶対的存在になっていた。単推しとまで言えなくても、レディキスが主現場であり、杏樹推しだと胸を張って言えた。
この辺りで「推し」の定義が固まった。
「推し」なんて人それぞれのモノサシなのだから言った人の勝手なわけで、それなら自分もちゃんとしたモノサシを持とうと思った。グループに必ず1人はいる、一番応援している子を「推し」とは言わない。自分の中で優先順位をつけた場合、別の場所でライブの時間が被ったときにどちらを優先するか考えたとき即答できる存在、それが「推し」であり、その「推し」がいるのが当然「主現場」になる。杏樹推してた頃は仙台から通ってたけどその事知らないヲタクと初めてからむとびっくりしてたものだ。当時のレディキスでおまいつでありながら実は仙台から通ってるのかと。
東江ひかり
杏樹卒業とともに東京に転勤。初めて「推しの卒業」を経験して、自分のことなのに今後の自分のことがわからなかった頃、杏樹卒業と同日に加入したレディキス彩菜、放プリでは寧々卒業後さおりん、行ってるグループの1番はそれぞれ居たけど、あまりライブに足が向かず、ちょうどSAY-LAが休止中に当時SAY-LAでちょいちょい行ってたあがりぃとまぜる~むで話す機会があって、時々SAY-LAに行くようになっていた。自分の中で杏樹が卒業した代わりでは?と何度も自問自答し、最後まで推し通せるか?と考えた結果、あがり隊(あがりぃ推し)になることを決意、6月に紫2本体制に。
その後、杏樹復帰未遂もあって、SAY-LAの物販で杏樹がスタッフの手伝いに来たこともあったりしたけど、元推しにも胸を張って「今、あがりぃ推してます」と言えるくらいにはきっちりしてた。自分にとっての「推し」の定義が、過去の軽い「そのグループで一番」から、決意の「最後まで推しきる」に変わっているのを実感した。
森咲のどか
あがりぃ卒業後、またロス期をむかえたけれど、あがりぃに憧れてSAY-LAに加入したのどかに行くように。最初はあがりぃが卒業後SAY-LA行くとあがりぃ推してた頃のこと思い出したりして行きにくくなったけど、既に新グループ(後のホットドックキャット)昇格が決まっていたベビキスののどかがSAY-LAのオーディション受けると告げたことで、SAY-LAで再びやれるのか?この時も自問自答して、緑2本目を急きょ日帰りで行った大阪遠征の際に調達。白石りか、西野葵、東江ひかり、とこじらせメンバーが次々と卒業して、そんな最中に「武道館宣言」があった頃、SAY-LAの決意の裏で自分自身も決意してた。その後CDリリースが決まっていたがインド出張で2ヶ月間現場行けない間も代行頼んだりそれとは別にCD積んだりして、帰国後はほぼ欠かすことなくリリイベ参加。年明けのワンマンや2回の海外遠征と2ヶ月間を取り戻すかのように立ち回る。のどか卒業発表があったがCDの特典や面会を充分取ってたこともあり、悔いなく送り出せたと思ってる。
谷のばら
最初のきっかけはのどかが放プリで気になる子として教えてくれたところから。候補生経由せず正規メンバーとして加入した新メンバー。ユースでの活動がないことや、元々アイドルではなくソロのシンガーソングライターってこともありヲタクが多くなかった。若くして歌唱力がある逸材にも関わらず。当時の放プリはななにゃん卒業して舞花とささらがツートップ。そんな中でのばは放プリらしい高音の歌声の持ち主でもあり期待してた。のどか卒業後もしばらくは推し不在だったけど、放プリのリリイベ行くようになって、ここでも決意。ピンク2本。最後はコロナの影響でちゃんとした見送りはできなかったけど、今でも「桐嶋のば」として楽曲提供したりと音楽の道で頑張っている。
余生
のば卒業、コロナによるライブ減少が重なって2020年は4~10月頃までほとんど現場に行かなくなっていた。個人的にはヲタクはこの辺りで辞めようと、精算してた時期でもあった。それでも現場に行く理由は、ヲタクとしての余生を、
のば推しの頃まで被ったときには行っていた、レディキス佐々木美帆、ホットドックキャット大原莉奈、Asterisk*zero椎葉彩の存在、そして1番は決められなくても長く通ってたSAY-LAのこの先を見届けたい、という気持ちがあったから。本当に時々しか行かない感じではあったけど、時々でも顔出して行こうと思っていたのが自分にとっての「余生」。「推し」と言えるほど行ってない(やっぱり「推し」って言うには最低限の現場頻度が大事と自分的には思うので)けど、大切な存在。嗜む程度には行くような感じ。
異界?
ヲタクとしては杏樹からのばの4人でやりきった感じはあるし、あとはあまり深入りせず余生を楽しもうと、たまに顔出して、後ろで跳ねていようと考えていた最中に、偶然出会ったのがみるぴこと黒鎖みる。MELTは元SAY-LAの天原瑠理ちゃんが再びアイドル始めたことで知っていて1年前新木場で初めて見た。その後も1月にゆる革伊森生誕でるりちゃんにMELTにも来てねと言われたりしてたけど、るりちゃんの生誕で久しぶりにMELT見て、当時休業中だったみるぴにはまだ全く出会ってなくて、MELTメンバーは当時からTwitterはフォローしてたので可愛いなとは思ってたけど7月末に初めて会って話してから気になる存在に。ワンマン行くために曲を知ろうとワンマンまで結構な頻度で通い、ワンマンでMELTが好きになり、みるぴと話すにつれてますます惹かれるように。ついには福岡遠征に行くなどすっかり「主現場」になった。紫も2本目を購入。一度ヲタクとしてまっとうして余生を過ごすなかで新たな現場で再起。故に異界。
3人になって沈みかけていたレディキスと杏樹、SAY-LA活動休止して先が不鮮明ななかでのあがりぃ、そのあがりぃが卒業して一部から「終わった」と言われることもあった(らしい)SAY-LAに加入したのどか、実力あるのにヲタク少なかったのば。
どこか過去の「推し」と近い境遇。
しっかり決意して2本目の紫を持っているのは「推し」という言葉を表に出していないだけで、自分の中では最後まで見届ける決意をしたことは事実。
今さら「推し」を作るなんておこがましいので「推し」とは言ってないけど、
ちゃんと推していく覚悟はしているつもり。