こんにちは。







カイトです。







男女関係において「静止」というテーマで考えると、ネガティヴな事を想像してしまいます。







例えば、、、








「前に進んでいない」だとか、、、







「物足りない」







「お互いに興味が無い」








「生産性がない」








「そもそも愛が無い」








などなど。。。







いろいろな人のブログで恋愛関係に関する悩みや不満などを書かれているのをみると、みんな苦労しながら自分なりに押したり引いたり頑張っているんだなあって思いながら読んでいます。








「恋人に相応しい相手になりたい」








「吊り合う女性になりたい!」







など、自分が相手に吊り合っていない事に悩む人も多いですよね。







いろいろと考えているうちに、この「吊り合う」と「静止」って同じなんじゃないか?と、ふと思いました。







「静止」の定義って2つの物体が同じ力で作用し合い、吊り合っている状態の事を言うんですよね。







これを人間関係で例えるなら、同じくらい好き合っていて、同じくらいのストレスを抱え合い、同じくらい許し合え、同じくらいの要求が出来るような関係なんじゃないか?って。








「蓼食う虫も好き好き」なこの世の中、そんなバランスの取れた人間関係なんて99%不可能と思います。








故にみんな悩みや不満を抱えるのだと思います。









「私はカイトに吊り合わない」








と、過去に言われたことがあるんですが、








「吊り合わない」原因ってなんだろう。って考えた時に。。。







ありのままの姿をお互いに許せなかったんじゃないかなあ?







と感じます。







それは、自分が変わる必要はなく、相手も変わる必要もなく、お互いが「物事を見る視点を変えれば良い」だけだったのでは??と思いました。








人間誰しも、相手を変えたがります。







相手を変える事で一緒にいようとするのは結果的に不幸になるような気がするんですよね。







自分がいる事で相手に我慢させる事や、








相手の事をどれくらい許せるか?は、今自分が持っているキャパの範囲内で良くて、それ以上我慢したり、相手の事を想って自分を削るのはきっと愛ではないんじゃないかなと思います。








だから、「つり合わない」って思って別れる事は悪くない事だと思います。








なのに、みんな「静止」という幸福に気が付かず「吊り合う」という理想を追いかけて今日も恋愛するんですね。







どうしてこの記事を書こうと思ったかというと、







自分の立場をわきまえず、人を上から批評したり、人への要求を身勝手かつ当たり前のように唱える人が身近な人にいまして、こんな風になりたくないなあと思ったからです。







本人が幸せで、周りの人が迷惑じゃなければいいんですけどね。笑