「生理的に無理」
聞き飽きるほど使い古された決まり文句だ。
ドラマでも、ネットでも、誰かの失恋話でも何度となく目にしてきた。
ありふれた言葉だからこそ、どこか軽く見ていたのかもしれない。
だが少なくとも、俺が生きてきた40年の中で、人間が他人に向ける嫌悪の言葉として、これほど的確なものを知らない。
「嫌い」なら、まだ感情の話だ。
「腹が立つ」なら、時間が解決してくれるかもしれない。
だが、「生理的に無理」は違う。
理屈ではなく、本能の側から突きつけられる拒絶の意思だ。
ありふれた話だ。
恋愛感情が薄れ、夫婦仲が冷え切っていく。
長い時間をともに過ごせば、相手は「家族」になる一方で、ときに「ただの同居人」にもなる。
赤の他人だった二人が暮らしているのだから、そういう感情が生まれること自体は、きっと珍しい話ではないのだろう。
「生理的に無理」
自分が、その言葉を向けられる側になるとは思ってもみなかった。
よりによって、妻からだった。
原因は、一つではない。と思う。
下の子が生まれてしばらくして、夜泣きが始まった。妻の腕の中でなければ泣き止むことはない。
そして、上の子もまだ幼く、自立心も反抗心も育ち始める難しい時期だ。
決めたことを守れず、親の言葉が届かない日も少なくない。我々の生活のペースは進行形で乱れている。
そこに、自営業である自分の仕事が重なった。
肉体的にも精神的にもハードは業界だ。
生活を支えるため、どうしても仕事の比重は大きくなる。育児には参加しているつもりだったが、振り返れば「部分的」だったのだと思う。
妻も、その事情は理解してくれていた。
仕事に集中できるよう支えてくれた。俺も、妻を金銭面で不安を抱えさせることもなかったはずだ。
休日には家族で出かけたし、普段は寄り道もせず家に帰る。朝の忙しい時間にはなるべく協力できるように仕事も調整している。
酒もたばこもギャンブルもやらない。
そんな当たり前のことに対しても、妻は感謝してくれていた。
ただ、それだけでは足りなかった。
妻が求めていたのは、時間だったのかもしれない。
言葉だったのかもしれない。
「ありがとう」
たった一言が、思っていた以上に足りていなかったのだと思う。
もちろん、言い訳をするつもりはない。
ただ、自分にも思うところはある。
疲労や苛立ちからなのか、妻が不機嫌な態度や強い言葉を向けてくることが増えた。
こちらも余裕を失い、感謝を伝える気持ちを持てなくなっていた。
お互いに、相手を思いやる余白を少しずつ失っていたのだろう。
正直なところ、今の自分が何を感じているのか、うまく言葉にできない。
悲しいのか、腹が立っているのか。
傷ついたのか、諦めているのか。
「生理的に無理」
たった一言なのに、頭の中で何度も繰り返し再生される。
この先、夫婦としてやっていけるのか。
時間が解決してくれるものなのか。
それとも、一度口にした言葉は、もう元には戻らないのか。
今はまだわからない。
だから、とりあえず書いてみることにした。
愚痴になる日もあるだろうし、冷静に振り返れる日も来るかもしれない。
いつまで続くのかもわからない。
ただ、今日のことだけは、忘れないうちに残しておこうと思う。