私は若い頃、速読に憧れてそれなりのトレーニングをしたことがあります。速く本が読めれば時間の節約にもなるし、知識も広がると思ったからです。でも結局、途中で辞めました。速読とは本を「読む」のではなく、画像として「視る」ことだとわかったからです(ただしここでいう速読は、いわゆる斜め読みとは違います。和田秀樹さんは、斜め読みしながら重要な箇所は慎重に精読する読み方を紹介していました。それはそれで良い方法だと思います)ここでの速読とは、ページ全体をカメラのシャッターを切るように「映像記憶=カメラアイ」として一瞬のうちに捉えて記憶するのです。しかしその行為には精読の場合のような「理解、分析、応用」が伴いません。たとえ映像記憶でどんなに速く「視た」としても、結果的にカタログを集めたような、平面的で無味乾燥な知識となってしまいます。これでは人間的に成長しないと思ったのです。
一方、通常の読書の場合には、読んだ文字情報を脳で一旦イメージ化(想像)し、文学書ならそのイメージでいろいろ楽しんだり(創造)、科学系ならイメージ内の因果関係に矛盾がないか確認(分析)したりしながら読むと思います。この場合における精神活動は、先に紹介した映像記憶の速読とは根本的に次元が違います。一番大切な想像力もさらに向上しそうです。だから私は視覚的な速読はよして、良書をできるだけ精読するようにしてきました。
ところで、速読の「カメラアイ」は瞬間記憶能力ともいわれ、発達障害の一部にもこの能力があるそうです。見たものを見たまま記憶し、思いだせるので一見便利そうですが、いつまでも忘れることができないので、フラッシュバックに苦しんだり、また対人関係に悩む場合も多いそうです。しかし暗記科目などには強く、速読力もあり、ブログなどの画面を映像記憶として瞬時に読む(視る)こともできるそうです。ただ、そうしてせっかく得た視覚情報も、その情報を応用(想像、分析、理解)するのは苦手になってしまう傾向があるようです。
(以下の二つの記事を参考にしました)
私は小説「あしながおじさん」の一節にある
「おじさん、私はどんな人にとっても一番大切なことはイマジネーション(想像力)だと思います。イマジネーションがあれば、自分を他の人の立場に置き換えて考えることができます。やさしくて共感性が深く、理解してあげられる人にもなれます。そしてこの想像力は、子どもの頃から育まれるべきです」
この言葉をずっと座右の銘にしてきました。
そして私はこの本(あしながおじさん)を、妻と初めて知り合った頃に贈りました。二人の娘達にも読んで欲しかったからです。せっかく親子になるのだから、私の願いを込めたかったのです。そして二人とも「人の心に深く理解のある人」になれたと思います。私自身も、これからもずっと「人の心に深く理解のある人」でありたいです。