在位71年だった英国エリザベス女王の国葬が執り行われた。非常に厳粛な中にも豪華さを感じさせる葬儀と葬列だった。
25才で即位してから70年を超える在位中には南アフリカの人種問題や戦争、テロ事件、ダイアナ妃の死、コロナ禍など英国にも数えきれないほどの問題や課題があった中で常に英国民の〝母なる存在〟として在り続けた意味と意義は計り知れないくらい大きなものがあったことだろう。今次、女王の死に際しすべての英国民があまねくその死を悼み、多くの国家元首や要人がその葬儀に駆けつけていることでも彼女の存在の大きさを図り知ることができる。
国葬とはそういった存在の人が亡くなったときにこそ執り行われるべきものである。
昭和天皇が崩御されたとき日本では「大喪の礼」として葬儀が執り行われた。昭和天皇も戦前・戦中・戦後の時代に国民の心の拠り所としておられた続けられたことが今回のエリザベス女王のそれと色濃く重なって見えてくる。
日本における国葬の対象は唯一無二の天皇陛下のみがそれに値するのではないか?
国民に多くの疑問や不信感を抱かれていたり森加計問題、公文書改ざん問題、桜を見る会など多くの灰色を残してきた人間が国葬に値するのだろうか?国民の半数以上が国葬に反対しているのに・・である。司法・立法にも諮らず行政の、しかも総理大臣のほぼ独断で決めてしまう国葬なんて全く無意味である!このような政府のありようではとてもじゃないがまっとうな政治ができるわけがない!
エリザベス女王の国葬をみていて国家の品格の違い(というよりは政治家のレベルの差)を強烈に感じたものである。
日本人は世界でも比類ないくらい質の高い人種である。全員ではないが質がお粗末なのはおそらく政治家たちと政治運営なんだろう。