日本では古来から無宗教の国と言われていて大和民族は万物に神が宿っている、という信仰観で人々が暮らしていたらしい。4世紀にインドで仏教が始まり日本への伝来は6世紀ごろといわれている。それまでは地上の万物、つまり海、山、水、火や巨木、巨石などにも神がやどっているもの、と信じられていた。
 日本には四季があり四季によって草木が育ちその恵みを食べる、周囲を海に囲まれた島国にあっては海の恵みを、川にあっては川の恵みの恩恵によって糧食を得て命を紡いできたことから自然によって生かされてきた、という発想と畏敬の念が育まれてきたからなのだろう。
 6世紀、聖徳太子によって仏教が日本にも広まり始め論理立った「教えや教理」というものが日本人の心の拠り所として息づき始めた歴史がある。太陽を崇めたり仏像を崇めたりするイスラム教や仏教とは一線を画した信仰が日本人の信仰の源にはあったのである。
つまり人間は自然によって生かされているもの、という謙虚さの中で民族性が育まれてきたのだと思う。この謙虚さという意識は伝統や習慣にも色濃く反映されていて質素に生きる、堅実に生きる、誠実に生きる、といった日本人独特の感性にも繋がっている。それらの精神性は物づくりや表現手法にも表れていて堅牢で美しい数々の伝統品(芸術)などを生み出す力になっている。漆器、陶器、織物、生活器具、料理などには諸外国とは比較にならないくらい繊細で機能に富みそれでいて美的にも出色な製品を生み出してきている。このことは他民族では到底及ぶことのできない傑出した能力をもった民族なのだと思う。見方を変えればそういった能力こそがこの国の秀でた力でもあるのでこれを武器として諸外国に打ち勝ってゆく(貿易などで)ことを国はしっかり見極め、展開してゆかなければならない、と思うのである。見直さなければならないことは「この国の強さは何か?」という事を改めて見直し、活かす戦略を展開してゆけば伝統的技術やソフトの保存・継承にも繋がることになるのだが・・・しっかりしろよ!ボンクラども!