かって日本人は謙虚さ、誠実さ、繊細さetcが他民族とは一線を画した存在として高い評価と畏敬の念をもって海外の人たちから見られてきた経緯があったような気がする。それは仏教やキリスト教のように渡来によってもたらされた思想や教えではなく「地上の万物に神が宿る・・(八百万の神)」という神話の時代から日本人の中に育まれてきた精神性が民族性として息づいてきたことに起源と由来があったからである。

 

 300年近く続いた徳川時代が反乱分子(薩長土肥)と外夷(開港を迫った欧米)によって崩壊し「維新」という政治上の転換点を経て大変化を遂げ、さらには海外侵攻という歪んだ形で国を保とうとした時の政策失敗が「国体(国の姿)」を誤った方向に進ませてしまい愚かにも大戦へと突き進んでしまった結果日本と日本人自体の価値観すら変えてしまうほどのものでした。

 世界各地での政治的変化とクルマ・家電製品・通信手段・INの発達などによって利便性は飛躍的変化を遂げはしたが人間自体がそれらの変化と進歩に追いついていない現状がありそのギャップが時として紛争レベルにまでエスカレートしてしまっているのが現状なのではないか?と思う。

 つまり幾多の変化に人間力が追いついていない、ということである。もともと島国である日本人は外来文化に即応できない不器用さがあるから現代のように世界情勢の激しい変化が当たり前の時代にはどうしてもついてゆけない弱さが否めない。であれば国が主導して「人間力を高める教育(つまり人づくり)」や「自給自足できる食物生産の強化(たとえば北海道や東北地方の食産強化)」「さざえが蓋を閉じるような防衛力強化」など日本と日本人を守るため骨太な政策を声高に提唱して導くような政治家と政治が必要なのではないか?と強く思うのである。

 

 皮相な現象を観ず「骨の髄」にガツンと響くような精神性と具体的政策に大きく舵を切ってゆかない限りこの国や将来を担う子供たちは「夢」すら描けない悲しい末路を辿ることになってしまう!!

 今次のコロナ禍襲来はそういったことを見直す千載一遇のチャンスでもあることを有識者は胸に手を当ててよ~く考えなけれなならない。東北の震災があっても大不幸を教訓として生かせなかったのだから果たしてできるかどうか??