1945年8月6日午前8時15分広島に原爆が投下された。

人類史上初めて都市部への原爆投下だった。およそ16万人もの人々が被爆した。8月6日は原爆記念日として広島平和公園では毎年被爆者の御霊を慰霊する式典がおこなわれている。

 

 この式典には総理大臣が出席して慰霊と平和への意思表明の言葉を述べているのだが菅総理はここでも大きなミスを連発。「ヒロシマ」と言わなければならないところを「ひろまし」とやってしまい、その後の挨拶に至っては原稿を1枚飛ばした挨拶をやってしまったのである。実に情けないかぎりである!五輪開会式では陛下が開会宣言を述べている間「立って拝聴」すべきところを座ったままでいた失態を演じたばかりである。


 それでなくても「存在感皆無」「ぶらさがり会見もほとんどなし」「定例会見もおざなり」などおよそ一国のリーダーとしてはこの人ほど国民からそっぽを向かれている総理大臣も珍しい。

 実際のところコロナ禍に対しても挙国してウィルスに立ち向かう、といったリーダーとしての気概の片鱗もみせずコロナ対策も経済対策も分科会丸投げ、対応も国民に丸投げ状態でまったく頼りにならない。口先だけの「安全安心」を連呼したって誰もついてゆくわけがない!ここまで信頼を失った内閣も本当にめずらしい!次に選挙ではハッキリ国民の意思が現れるはず。だからといって野党が過半数を獲得したとしても政権運営はできないだろうから・・つくづくこの国は気骨ある政治家が育たない国なんだろうと思う。

 

 遡ると300年近い長期政権を築いた徳川の世が終焉を迎えた幕末から維新にかけた時代には世を憂い新しい日本のあるべき姿を思い描いて死を賭して奔走した日本人が数多存在した。当時の日本(幕府)は米国から開港を迫られ国としての立ち位置を明確にしなければならない状況にありながら時の政権はある意味で腐敗しており内政面でも統治力が低下、幕府である徳川家の求心力も低下の一途を辿っていた。

 一方で薩長土肥といった内政に対する不満分子である国政改革派に対しても毅然たる政治手腕を揮える人材(つまり今でいう内閣)がいなかった。時の政府(徳川幕府)な内憂外患、といった状況であったのだ。やがて徳川家は大政奉還し行政権を朝廷に返納することになり明治維新を迎えることになるわけだがこの頃の政治家には「将来の日本のあるべき姿」や政治信条を明確にもった政治家が数多くいた。それは国を導くため政治家としての「大志」をもった政治家群だったはずである。

 

 古い言葉だが政治家や聖職者(教職、僧侶など)と言われた人たちは「滅私奉公」といって私心なく国のため、国民のため礎となることが政治家(聖職者)としての役目、ということをしっかり持っていた、覚悟ある人たちがいたのである。

 つまり「命を賭けて職務を全うする」という人たちで占められていたのである。だから彼らは一般人からは尊敬もされ畏敬もされていたのである。残念ながら今(現代)の時代にはこういった覚悟ある聖職者は皆無となり国民もまた彼らを尊敬も畏敬の念をもって見る、ということはなくなりご都合主義としての個人主義ばかりが幅を利かす「なり下がった時代」になってしまったのである。


 東京五輪は今日閉幕した。コロナ禍、という状況を差し引いても全く盛り上がりに欠けた大会だったと思う。アスリートの皆さんは「そこ(大会)」がゴールとして頑張ってきたのだから彼らには惜しみない拍手と称賛を送りたいと思う。これはメダルが取れた人も残念ながらメダルに手が届かなかった人にも、である。


 政府や文科省には五輪のときだけ「いい顔するな!」と言いたい。五輪の組織委員会ももとはと言えば文科省傘下の体育協会が色濃く関与しているわけだから何があっても最終責任は政府がとる、くらいの覚悟を示し組織委員会が縦横に力量を発揮できるような環境づくりをしてアスリート育成と施設整備のために潤沢な予算を投じなければならないはず。金は出すけど口は出さない、ということである。勿論、付託を受けた組織は万難を排して競技力向上のために心血を注がなければならない。
 政府が今のような体たらくな中にあっても自助努力で奮闘してくれたアスリートの皆さんには心から「ありがとう!」と感謝を伝えたい。