2000年以降、つまり戦後50年を経過したころから日本人の気質に変化が表れ始めた。それは個々人の価値観や思想観も含めてよく言えば個人主義、悪く言えば利己的は考えを持った人が増えてきた、ということである。

 

 1960年代までは日本と日本人は考えの基底には封建時代に培われた「神」や「儒教」「禅」の精神性が色濃くあり、その精神性によって日本人の連帯感や善悪に対する判断基準が一定していて民心自体もその部分で安定していたような気がする。

 明治維新以降第二次大戦までは天皇を頂点とする国家体制が敷かれていて国民の拠りどころとなる精神的支柱もしっかりしていたから「国家」としての一体感もきちんと保たれていたのである。紀元以来二千年近く育まれてきた日本人の精神性が危ういまでに形骸化しつつある。


 簡単に言うと日本人の良きところは繊細で謙虚さを持ち、誠実で、器用、我慢強く努力家で工夫力が高く忠実。これらが政治・経済・文化の各面で力を発揮し民族の力となって国の強さに繋がっていたのである。

 このような人間性は家庭においては夫婦間や子育てに活かされ少なくとも倫理観を醸成する「躾」は幼少児期に植え付けられていた。倫理観を持ったうえで小・中・高教育を受けていたから社会人として実社会に漕ぎ出ても最低限の正しい判断が可能になり自己制御する術も身に着けていたから常軌を逸するようなことはあまりなく社会人としてあらゆる局面での対応ができていたんだろうと思う。

 1980年代あたりから義務教育を含め「人づくり」につながる教育が徐々に希薄になり礼儀や躾に繋がる教育も激減し自らを戒めたり律したりすることも「漠然としたもの」へと悪い方向に舵を切ってゆくようになっていった。


 国は人づくりを国民自体に丸投げし経済優先へと偏向してゆく。政治家は国や国民の将来よりも自己顕示や権力志向に終始し政治家自身も高い志など眼中にない、かのごとく振舞始めるようになっていった。政治家以前に人としての資質が劣化してきてしまっているから満足な政治論争などできようはずもない状態になってしまっている。

 人づくりができていなければ政治も倫理も無い訳でそんな連中が「ハイ政治家です」みたいにふるまうような社会では先行きに期待など持てる訳がないのである。勿論、このような政治家を生み出してしまっているのは私を含め有権者にも責任の一端はある。意識のどこかに最低限の倫理観と常識・良識を人々の多くが具備していればまだ救いがあるのだが今の社会の動きを見ていると10年先か20年先になったらこの国はおそらく手の施しようがないくらい人が劣化してしまうのではないか?と大いに危惧している。
 精神性が失われインターネットや携帯ツールに頼る世に中ではそういった恐れは十分考えられるから怖い!