戦国時代の舞台のひとつとなった琵琶湖畔湖東域近江八幡を訪ねた。

東八幡町の八幡堀周辺をしばらく歩いた。秀吉の養子となり豊臣を名乗り、近江八幡の地を治めた秀次は、楽市楽座を開き後の商業発展の礎を築いたが、秀頼誕生により秀吉から疎んじられ悲運の若き生涯を閉じた戦国武将。地元近江八幡の人々は親しみと哀惜を込めて秀次を郷土の殿様と呼ぶ。近江八幡からは、西川産業の創業者をはじめメンタームの近江兄弟社、伊藤忠、丸紅、西武創業の堤家など商業で大成した多くの実業家を輩出したことから“近江商人の地”と呼ばれて現在に至っているほどである。

かって大津に日本の中心地になったほど琵琶湖畔は政治と経済の中心的役割を果たしてきたことを振り返るつもりで幾つかの地と史蹟を巡ってみた。日本最古級の寺百済寺、聖徳太子によって開かれたという教林坊(観音正寺のたっちゅう)、織田信長が築城し、本能寺の変のときに焼かれてしまった安土城の復元天守閣などを見て回った。

近江八幡、安土、高島、長浜など琵琶湖畔に点在する歴史的地域はこれからも機会があったら訪ねてみたい土地である。大津の古刹三井寺の晩鐘もわずかだが見ることができた。