ごきげんよう!森澤勇司です!
いつもコメント有り難うございます!
こんにちは。
>『風姿花伝』の十二三歳
>「時分の花」について当られていることと
>ものすごく共通する感覚があります。
このお言葉で、読んでみたいと思い、アマゾンから購入しました。
良書のご紹介、有難うございます。
お役に立てば幸いです!
今回は
「救済」をテーマにお届けします。
お仕事のヒントになれば幸いです。
舞台も復活し始めました。
「籠太鼓(ろうだいこ)」
3曲有る内の真ん中「籠太鼓」を勤めました。
能の中で「○○太鼓」と曲名がつくものは太鼓がでない!
この「籠太鼓」も楽器は笛、小鼓、大鼓の三役です。
この物語はなんとも不思議な物語です。
①殺人犯が脱獄する
→舞台には登場しません。
②妻が代わりに籠に入れられる
→夫の居場所は知らないと言い張る
③釈放を嫌がる
→夫のいた場所にいさせてください。
④無罪放免、釈放される
→実は夫の居場所に向かいますとカミングアウトする
⑤籠の番人は親の十三回忌なので無罪にする
現在だったら「え~」というような物語です。
この曲が残っている理由とは
現代劇だったら
一体何の話かわからないような
コントのような落ちとも思えるものが
能になると味わいが出てくるのが不思議です。
この設定が
将軍と跡取りだったら
とらえられてすぐ処刑でしょうし
恋人同士だったら
居場所を知っている嘘が、
すぐにばれてしまうかもしれません。
年を重ねた夫婦の
妻の機転
居場所を知っているのに
知らないと行って
釈放されるときも
夫のぬくもりを感じたいから
籠から出ないと駆け引きする
籠の番人が許した後は
「ほんとは居場所知ってます~
これから会いに行きます!」
室町から江戸期まで
無罪でとらえられ
処刑される人は現在よりも多かっただろうと
推測されます。
そんななか「救済」されたい
という願望がこの曲を残したのかもしれないですね。
仏教で救われるとか
神が現れるとかではない
能では数少ない人間ドラマです。
現代に当てはめてみると