ごきげんよう!森澤勇司です!

 

今回は
「つながり」をテーマにお届けします。

お仕事のヒントになれば幸いです。

 

さて安産祈願で有名な「水天宮」

 

水天宮をお参りするときに

いつも「大原御幸」を

奉納しています。

 

さすがに小さい声か

心の中です。

 

全く関係なさそうで関係ある

そんなつながりについてお届けします。

 

水天宮の御祭神

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水天宮の御祭神は

天御中主大神

 

『古事記』で一番初めに現れる神様です。

 

そして平家物語ゆかりの

 

安徳天皇

 

建礼門院←安徳天皇の母

 

二位の尼←建礼門院の母

 

 

壇ノ浦で三種の神器とともに入水した

なかで建礼門院だけは

生き残り寂光院で余生を送っています。

 

平清盛と二位の尼のあいだに

生まれた子4人は能に描かれています。

 

特別インパクトのある

方々だったのかもしれないですね。


1185年「壇ノ浦合戦」当時
父 平清盛1181年に死亡
母平時子→二位尼59歳


宗盛39→能「熊野」
知盛34→能「船弁慶」
徳子30→能「大原御幸」
重衡28→能「千手」

 

安徳天皇は8歳

 

 

徳子は59歳まで

壇ノ浦の合戦から約30年

尼として過ごしたようです。

 

 

安産祈願に集まる

「水天宮」の御祭神

として祀られるまで

人間としては悲しみの多い

人生だったようです。

 

 

水天宮と易経

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「水天宮」は易経の「水天需」から名ずるけられたという

説もありますがこれは定かではありません。

 

そういうこともあるかもしれない。

 

また複数の意味が重なっている中に

易経が入っていても不思議なことではありません。

 

大正、明治はじめ日本の元号も

易経から名付けられた物は

20以上あります。

 

無理なこじつけで易経のみと

言い切るようなことでは無いと思います。

 

神社の由緒で伝わっていれば

あるかもしれませんね。

 

 

うちの最寄りには

小さな水天宮があります。

 

大きな神社は半蔵門にあり

ここには能楽「宝生流」由来の

宝生弁財天が祀られています。

 

能とは縁が深いことは

確かですね。

 

易経と能「小原御幸」

ここからはちょっとマニアックな

領域に入ります。

 

つながりの例として「易経」と「大原御幸」の

記述を並べてみました。

 

詳しい説明は無しにしているのd

ああ似てるところがあるな、と

見ていただけるとよいかと思います。

 

image

 

さて

その「大原御幸」という能について

易経と似ているなと思うところがありました。

 

それは物語の構成です。

 

少し易経ことをサラッと

 

水天需の「需(じゅ)」は

待つ」を象徴しています。

 

初~上まで六つの

言葉が記載されています。

 

易経の「需(じゅ)」

 

初爻「郊に需つ、恒を用うるに利し。咎无し」
遠い土地で待つ



二爻「沙に需つ。少しく言有り。終に吉」

少し小言を言われるが最終的には吉



三爻は「泥に需つ。寇の至るを致す」

災いの前兆



四爻は「血に需つ。穴より出ず」

殺傷の場



五爻は「酒食に需つ。貞吉」

食事をしながら待つ


 

上爻は「穴に入る。速かざるの客三人来る。之を敬すれば終に吉」

困窮しているが3人の客をもてなせば吉

 

 

能「大原御幸」の物語

 

能「大原御幸」の物語とは

かなり簡潔ですが下記のようになっています。

 

 

 

①後白河院の臣下がこれから

寂光院に御幸に向かうことを告げる。

 

 

 

②二位の尼、建礼門院、大納言の局

尼の姿で登場→建礼門院は山に蕨とりに行く

→大納言の局は建礼門院の帰りを待つ

【易経】

→初爻「郊に需つ、恒を用うるに利し。咎无し」
遠い土地で待つ

 

 

 

 

 

③後白河院一行の旅の場面

 →寂光院に到着

→後白河院は建礼門院の帰りを待つ

【易経】

→五爻は「酒食に需つ。貞吉」

食事をしながら待つ

 

 

 

 

④建礼門院が寂光院に帰ってくる

【易経】

→二爻「沙に需つ。少しく言有り。終に吉」

少し小言を言われるが最終的には吉

 

 

 

 

⑤後白河院、建礼門院が再会する

【易経】

→上爻は「穴に入る。速かざるの客三人来る。之を敬すれば終に吉」

困窮しているが3人の客をもてなせば吉

 

 

 

⑥華やかだった時代を語る

【易経】

→三爻は「泥に需つ。寇の至るを致す」

災いの前兆

 

 

 

 

⑦建礼門院が壇ノ浦の合戦での体験を語る

【易経】

→四爻は「血に需つ。穴より出ず」

殺傷の場

 

 

⑧後白河院一行帰路につく

建礼門院は見送る

 

 

「大原御幸」の謎

 

 

『平家物語』では結構な大人数での

寂光院訪問が描かれています。

 

能「大原御幸」では

後白河院、万里小路中納言、大臣、お供2名

 

になっているので

名前のある3名は易経そのままです。

 

更に不思議なのは

万里小路中納言という人物は

平家物語の100年後に出てくる人物です。

 

 

タイムトラベラーなのか

別の文章や和歌集の立体化なのか

能の物語は細かく読むと

不思議なところが多いです。

 

 

もともとこの「大原御幸」は

舞台よりも謡を楽しむ曲だったそうです。

 

旋律や文章もキレイな描写がされていて

脳内絵巻のように頭に景色を浮かべて

楽しむと味わいが深まります。

 

つながりがあるという前提

 

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安産祈願→御祭神→生前→能に描かれる人生

 

そんなことを深掘りしてみました。

 

関係ないようでつながっている

能楽には

そんな世界観が展開されています。

 

 

壇ノ浦の合戦ばかりでなく

能に描かれる戦はほとんど敗者の目線です。

 

 

やめればいいと分かっていても

宣言したから後に引けない

 

身近なところでも「集団力学」は

自分に強く影響します。

 

仲間通しの争いのあるところよりも

助け合いのあるコミュニティーを

選ぶのも大切です。

 

 

水天宮の御祭神

天御中主大神、安徳天皇、建礼門院、二位の尼

 

御祭神は「安泰」を願っているのだろうと思います。

 

「安心して子育てが出来る世界」そんな思いが

「安産」につながってきたのかもしれないですね。

 

 

 

最後になりましたが動画を

一つご紹介させていただきます。

 

弱肉強食の自然界で強く生きる

動物たちを見てなにを感じますか。

 

水天宮の記事をつくっているときに

目に入ったことは

総括としての自分へのメッセージだと感じました。

 

 

 

 
 
天命のアクションプラン
自分に入ってくる情報はつながりがある前提で俯瞰してみる

 
 
 
 
いつも最後まで読んでいただき
有り難うございます!
 
またお目にかかりましょう!!!
 
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