ごきげんよう!ゆうぽんです!

 

今回は「疑う」というテーマでお届けします!!

 

ポッ 

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さて本日は百人一首の記念日です。

 

それなのでこの百人一首にまつわる

能「羽衣」から「疑う」ということを考えてみたいと思います。

 

 

では行きましょう~!

 

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百人一首、知ってる歌はある?

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百人一首の歌のひとつ
 
天つ風
雲の通い路
吹きとぢよ
乙女の姿
しばしとどめむ
    僧正遍昭
 
能「羽衣」ではこの最後の
 
「とどめむ」を
 
「とどまりて」
 
とかえて次の文章につなげています。
 
サラッと組み込んでしまう訳ですね。
 
 
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それでは
 
なぜ「羽衣」が疑うというテーマになるかといえば
見返りを求める人間のエゴが描かれているからです。
 
 
不漁だった漁師は
浜でキレイな衣をみつけます。
 
そこに天人が現れその衣を返してほしいと伝えます。
 
その漁師は、
天人のものだったら
返さずに家の宝物にしようと持ち帰ろうとします。
 
その後やりとりは続き
漁師は天上界の舞を見せてくれたら返すという
交換条件をつけるのです。
 
天人は交換条件を受け舞を舞うことを約束します。
 
そして
「羽衣がないと舞が舞えない」という事情を漁師に伝えます。
 
そうすると
この漁師は
衣を先に返したら
舞わずに
そのまま
天に帰ってしまうだろうと
天人を疑うのです。
 
そのとき天人のお返事は
 
いや疑いは人間にあり、天に偽り無きものを
 
そして恥ずかしいと気づいた漁師は衣を返します。
 
そして天人は約束通りに舞を舞い天井に帰って行く
 
そんな物語です。
 
 
「疑う」ということは場合によって
必要なことだと思っています。
 
自分自身の考えや哲学を疑うことは常に必要です。
これは自己肯定感とかそういうものではありません。
 
自分の軸を常に修正するようなものです。;
家の中を掃除したり
辞書で言葉を確認したり
能動的に自分を疑うということは常に必要だと思っています。
 
 
しかしこの漁師は自分を疑うことはなかった。
 
そして
天人が約束しているのに
衣を返したらそのまま飛んで
行ってしまうと疑うのです。
 
これ私が人に説明するときよく牛丼屋さんに例えてます。
 
吉野家と松屋の違い
 
吉野家は後払い
 
松屋は先払い
 
 
これもし
後払いの店で
先に出したら食い逃げされるかもしれない
実際にあったとしても
 
毎回疑うなら
前払いにすればいいわけです。
 
デパートのレストランでも
街の食堂でも
居酒屋でも
後払いの所は
つねに来ている人を
信用しているのです。
 
そういう意味では
自分で信用がないとか
ひとを信用できないといっていても
常に社会から信用されて生きている
そのことは事実です。
 
信用できない人もいるかもしれません
この「疑う」というのが
自分の理想に向かう疑問「疑い」は
細かいこともどんどん出したほうが有益です。
 
逆に
信用すべき人を疑ってしまうこと
ここは避けたいところです。
 
自分を疑うという事に対して
自己肯定感という言葉が
はやってきました。
 
ここについては
また別の記事でお伝えする予定です。
 
 
それでは
百人一首 僧正遍昭の歌が
引用された能「羽衣」から
 
「疑う」というテーマでお届けしました。
 
いつも、さいごまで読んでいただく有り難うございます!!
 
またお目にかかりましょう!!!
 
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