ご報告 | 別所ユージの日記「タテガミトラベラー」

ご報告

あの3月11日に起こってしまった東北関東大震災。
誰もが経験したことのない、胸をえぐられるようなものすごい衝撃を受けました。

あの日以来、自分にも出来ることをより深く考え行動してきました。

その一つが全国の方々に被災地への義援金募金の呼びかけでした。
そして本当に驚くほど全国各地多くの方々からの暖かい義援金が集まりました。
そして自分もLIVE収益金の全額、そして事務所として、個人としての義援金を
その義援勇士仲間に入れてもらい、集まった総額は

¥1,545,808-

となりました。

その義援金寄付先詳細等はオフィシャルHPをご覧下さい。
別所ユージオフィシャルHP

まずはこの義援金に賛同し、協力してくれた皆様、本当に、本当にありがとうございました。みんな何かを我慢し、何かを犠牲にして出来る限りギリギリの判断だったと思います。事務所としてもアルバム制作中断という決断を迫られる形となりました。それでも誰にいくら渡るのかも分からないままの無償の提供、想いに僕はこれまでにないほど胸を撃たれました。こんなにも人間とは暖かく、そして誇り高い生き物なんだと気づかされました。普通ではあり得ない。命を守る命。そしてこの活動を遠くで応援してくれる声もたくさん聞きました。このみんなの想いの凝縮された義援金を扱いながら、この義援金募金にたずさわれて本当に僕自身勉強させてもらったし、幸せでした。

ありがとう、その暖かさ忘れません。
募金に協力してくれた一人一人を抱きしめる気持ちでした。
確かにこの大震災経験は出来ればしたくなかった。
誰もがそうだよね。
でも、でもあえて言わせてもらえるなら僕はこの大震災で被災した人にも、支援する人にも言いたいことはあなたとこの時代に生まれてきてよかったと。
そしていつか一緒に困難をこえてきてよかったとまた言いたい。

人は誰も個々。要するに孤独な単位。
それでもその一人一人の想い、パワーが集えば、集結すればこれだけ大きなものとなることをこの義援金を扱わさせていただいている中で実感出来ました。これって大袈裟かも知れないけどある意味奇跡的な出来事って言えるんじゃないかな。こんなことってある?全国各地で生きている世代を越えた様々な人が一つの想いに身を切る形で参加するって。世代も性別も生活環境さえこえて支援の輪がひろがるって。

人々が生きる社会では、知ってるようで知らなかった。
まるで自分が子供のように思える瞬間でもありました。
もっと成長したいって。


そして、災害支援ど素人なりに出来るだけ早く被災地の困っている方へ義援金を届けられないものかと様々な人に相談したり、情報を集めました。震災直後、自分自身関わりのある地域、言うなれば市町村、個人単位には個人的に義援金支援をさせてはいただきましたが(その詳細や義援金内容、ボランティア活動は個人的なものなので発表は差し控えます)全国から集めた義援金の扱いには特に慎重にやらせてもらいました。ただそれでも直接的に支援出来る物資や炊き出しとは扱う性質が違い、なるべく中間手数料等が発生しない純粋な形で迅速に支援出来る形で、なおかつ被災地をなるべく平等にという一見矛盾も含まれるアクションを起こすことは正直簡単ではありませんでした。とにかくどんな小さな被災地にもシラミつぶしにあたりましたが、どこもまずは一番市町村で被災した人、未だ行方不明の方、県内外に避難した人の把握が万全でない、そして義援金受取は被災した人が申請しなければ義援金がおりないとか行政上の多くの手続きの理由がそこには存在しました。そして行方不明の親族の方々は未だに捜索されている、その方への支援はどうすれば...。想像以上に難しい問題がそこにも山積し、緊急支援をすぐ必要とする人と、なるべくみんな平等にという被災された方々への行政にたずさわる職員の方の想いが混在していました。その職員さんも被災者。そして僕はというと全国多くの方々から多くの被災された方へ一日も早く支援をという想いで義援金を託されました。
あぁー、支援の難しさを痛感させられました。
何十万人の人が困っている。

そして今回、自分が抱える組織としての支援方法を決断しました。
それは一つの支援のあり方だと思いました。

小さい単位での関わりのある場所、人、親族には個人単位での義援金やボランティアお手伝い直接的な支援。より規模を大きくするならばそれを統括し、なおかつ想いがある場所へ支援を託すこと。です。県の福祉課職員の方や、災害対策本部の方、同じ郷土で育って被災した職員の人たちとたくさん話しました。
本当に親身になって相談にのってくれ、対応してくれました。

そして僕自身が呼びかけ、集めさせてもらった義援金は多少の被災状況の違いも考慮しながら各県が被災者へ直接渡せる生活義援金としての窓口に全国のみんなの想いを渡してきました。一円の中間の無駄もなく、必ず届けてくれます。それ以上の踏み込んだ支援はきっと関わりを持つ人との個人単位でもいいのではと思います。

これも実感した一つで、人は関わりがある、要は知っているとか、友達とか、家族とか顔が見える存在が弱っていればそれに対しては思いっきりの支援を買ってでもできるもので、でも関わりがない場合には遠くに感じざるを得ない。この温度差は当たり前に存在するものなんだと。それはそうだよね、遠く知らない人がなんか困ってるという二重の仮想の中でそれを支援するって感情移入も含め難しい。ただ支援のあり方そのものを否定すべきではないと思うし、それぞれが出来ることをすればいいと思うし、またそれでもこの多くの義援金、支援の意味を考えるとその暖かさに僕自身救われもします。

まずは自分の人生を一生懸命に生きること、それだって支援です。

そしてもう一つは支援の旗を個人や組織で上げることの意味。
僕自身それは個人的、組織的パフォーマンス利害関係であってはならないと思います。

それに今回の大震災への支援は世界中から匿名で膨大にあるそうです。
更に言えば震災後の原発事故後、現地でこの国を守ろうとしている作業員、個人に向けての匿名支援も世界中からあるそうです。助太刀し、名も語らず去ってゆく...、マジかっこいいですな。本来のボランティア精神はそこが出発点だという人もたくさんいて、今回も多くの人がその選択をしてます。本当に尊敬します。中々出来ない勇気ある行動だし、人間愛に満ちてると感じます。僕は今回それも承知で旗を勇ましげに上げさせてもらいました。僕はこれを利用しマスメディアに登場し、名前を多く広めるつもりなどまったくないし(というかまったく取り上げなることはないです)、エゴ的正義をかざすつもりもまったくありません。ただ、自分が顔を出して呼びかけることによって自分が出来る無記名での個人支援より、より多くの支援が得られ、それが本当に助けを必要とする人へ多く届くと直感したからです。
もちろんご批判もいただきました。それも一つの正解です。僕はこちらを選びました。
発信した想いに賛同を得られたのなら、膨らむはずだと考えました。
届ける寄付に至る過程で生じた経費分はすべてこちらで負担させていただき、純粋な想いを届けてきました。


今後もより多くの支援が求められて、復興までの道のりは長いかもしれません。
それでも僕は継続的に支援を続けていくことの重要性を感じてます。
より多くの雇用を生み出せる企業に成長させ東北の才能ある人材を育成していくのか、小さな支援でもコツコツ積み上げていくのか。自分が応援をもらったこの国に恩返し出来る方法を。とにかく様々な方法でこの国を救いたいという想いは共通しているのではないでしょうか。

とにかく、支援、応援、様々な形で賛同してくれた皆さん、本当にありがとう。
必ずこの気持ちは届いてます。

別所ユージ