◯◯って | 自分物語の種☆鑑定師☆ちえのわ

自分物語の種☆鑑定師☆ちえのわ

ひとりにふたつふたりでひとつ

表であり裏であり
光であり影であり

あなたは世界であり
世界はあなたであり
全ては両翼の中にある

このわ ちえのわ くぐりゆき

いでませ自身を知る旅へ

心と身体と魂の繋ぎ人 魔言の葉使い☆紫香

例えば

私が属す◯◯の事を
それに属さない者が
「◯◯ってこーだからさー」
と、決めつけるように言われても

あー、ま、そーゆーとこもあるけど
あなた、◯◯(した)なった事ないじゃんねー

と、ある意味俯瞰出来るけれど

同じ◯◯に属している人が
「◯◯ってこーだから、たちが悪い」
みたいな発言していると

はー?なに、◯◯代表みたいな口きいてくれてるんだ?

と思う。

それと
そう言ってしまう背景に
暗に「自分は違うけど~」
というアピールを感じてしまう。

そんな所に嫌悪感を感じてしまうから
安易に
「◯◯って~」
と言ってるいる人が気になってしまうんだろう。


でも
根本的に
何故、そう感じてしまうかと言えば
私もやっぱり、気付かぬコンプレックスを感じてきたからなんだろう。

子供の頃
私は男に生まれたかった。

それは別に、性同一性障害だからとかではなく
単純に私が
世の中は「男」である方が生きやすい
と、感じていたからだ。

極端な男尊女卑とかでは無くても
「女」であるだけで、不自由さと生き辛さ、というものを感じるくらいには
女は損だと思っていた。

いや、思わされていた。
時代の風潮に。

思わされていたけれど
違うんじゃないか?と何処かで知っていたから
私は自分が属している◯◯に懐疑的ながらも
受け入れてきた。

◯◯だろうとなかろうと
人としては、ほとんど変わらないはずだ。

◯◯だから、そうなるんじゃない
◯◯って、みんなそうな訳じゃない

◯◯は1つの要素でしかない。


なんてな
私も女子のくせに

「女子は怖いし面倒くさい」

なんて思っていたクチだから(笑)
◯◯って
と、決めつけてしまう気持ちも分からなくはない。


今思えば
◯◯であることへの
周囲の目や世間の常識というハラスメントから逃げたかったのだと合点する。

逃げたいけれど、自分のなかにもすでにその「常識的なアンチ」が存在してしまっているから
自分も◯◯の中にいるのに、◯◯を限定で批判するような思考になっていく。

冷静に見れば
それは◯◯の特性でも特徴でもなく
その他大勢の一部でしかなく

もし、改めて欲しいと本当に願うのなら

特定に寄り添うか
全てに語りかけるか

それしかないんじゃなかろうか。


女でも
男でも
どちらでなくても
どちらであっても

子供でも大人でも
妻でも夫でも
母でも父でも

部下でも上司でも
生徒でも先生でも

日本人でも外国人でも


結局、総じて

地球人って……

と、宇宙人には括られるのだろうから(笑)



結論。

そんなにね
自分の属する◯◯を卑下しなくていいと思うのです。

良くしたいと思うなら
声をあげればいいけれど

ただ、否定して責めるだけでは
何も変わらないと思うのです。




ナリ君のブログを読み直して思う。


一般的に
「悪いこと」をしてしまう人の背景に思い至る時

積極的に許す、というより
その人にとっては
「どうしようもなかった」のだと思えると
自分のせいではなかったのだと識る。

人を責めたくなる時は
自分が責められそうに思うから
先制攻撃をしてしまうんだろう。

自分が責められる、と思うのは
自分自身へのダメ出しになっているからなんだろう。