あんぐり | 心と身体の整え処みもえのはな

心と身体の整え処みもえのはな

みもえのはな〈三百枝花〉とは
占い[心]やもみほぐし[身体]や創作[感性]といった
三種のツール[枝]の先で多く[百]の笑顔[花]を
咲かせたいという想いで名付けた造語の屋号

あなたと好きな人あなたの好きな事
笑顔の毎日が百年続きますように

久しぶりにツッコミや検証だけじゃなく直に見てみたら
なんというか
本当にあらためて感じる、別世界な方々ですな!(笑)

あいもかわらず……どころか

王様とこじきならぬ王様からこじき
という感じになってしまったなぁ。

古事記ならあたためも出来るけれど
あたためも新しきも無く

ただただひたすら自己紹介か。

別に自己紹介が悪いとは思わないけれど
自己紹介だと気付いてない所が何とも言えない。

私も、必要とされないアドバイスなどする気もおきないし
見守る義理もないし

お好きなだけお仲間同士で言い合うのも
彼らの居場所なんだろうから良いんでしょうけど。

わざわざ無関係な人に不快な思いをさせるのは、どうなんですかね?

他人の余計なお世話は嫌がらせと変わらないですからね。


それにしても
アンチという言葉を使えば使うほど、相手が人気者だと嫉妬しているようにしか聞こえないのわかっているのかな。

分かっていても止められない止まらないのか
そんな所に自己の存在意義を見いだしているのか

摩訶不思議な人達だと感じてしまうのは
私の意識が既に変わってきているということなのかもしれないな。


彼等がいくらなんと騒ごうとも、彼女は彼女として自分に正直であれば良いことだし
生き様も書くことも。

それは、誰であっても、そうなんだけれど。

いつの間にか、他人軸や世間軸に縛られているんですね。
縛られている事にも気付かずに。

人が誰かを何かを責めるのは、勝手に我慢して勝手に期待している時なんでしょうね。

自分の思い通りに相手が動かない時なんでしょうね。

自分が、ただ好きに動くこと
相手を、好きに動かそうとすること

どちらが自己中なのだろう?

ある意味どちらも自己中なんだろう。

けれど、自己の自由さ幸福さなら?




相手がもしも、変わっても
あなたは何も変わらない。

人を思い通りにしようとすることは、自分の事を他人任せにしているのと同じだから。

それは結局、他人の思い通りに生きているのと同じだから。