今日は快晴だったのですが、とんでもないメンタルダウン。
一日中バタバタしていて、帰ってからは希死念慮が溢れ出し、衝動性も現れたので「いのちの電話」に電話しました。
以前も利用したことのある電話。
前回は意味があるものとは感じませんでした。
しかし、今回「いのちの電話」の「意味」が分かりました。
匿名性なので、自分の弱さや、過去のトラウマ、そして現在なにが起こっていてなんで自殺願望が溢れているのかを全て話せることに意味があるのだと感じました。
実際に電話の相手は聞いているだけなんですが、ただ聞いてもらっていることによって、自分と向き合えることに気づいたんです。
アドバイス的なことも言ってくださいましたが、実はそこは重要ではなく、独り言を言うかのごとく「傾聴」してもらい、自問自答できるんだなと。
「精神疾患は心の病気」というふうにしか未だに思われていないのですが、「脳疾患」なので、「気合や根性の精神論」は通用しないと周知されていないのが現実です。
そして、「脳」を自分でコントロールできるのであれば、それは病気ではないですよね。
私の親友のお母さんからよく言われるのが「生き急いじゃいけないよ」ということです。
マインドフルネスとまでは行きませんが、「一呼吸置いて落ち着く」=「自分が焦っていることに気づく」に繋がると思っています。
「生き急ぐ」ことをしてしまうと、何もかもが上手く行っているようで実は周りの人達を傷つけまくっている状態になっているんですよね。
つまりは、他害行為(物理的にではなく心無い一言や言葉足らずなど)や、自傷行為(こちらも物理的ではなく自分を追い込んでいること)をしていることになるんだと思います。
私は最近知人に「生き急ぐな」というメッセージを送りました。
それは、私自身に対しての言葉でもあります。
もちろん、その方がどのような考えで、過去や現在に至るまでの背景などは分かりません。
ですが、脳が疲弊している状態の者同士だと、文字のやり取りの時は特に引っかかるワードや、文章の構成が気になったりします。
その方が以前、精神疾患のグレーなところで床に伏していたのを知っているので、余計に敏感に感じてしまいました。
一度、自分がどんな状態に陥っているのかを考えて貰うために、漠然と「生き急ぐな」とメッセージをしました。
私のような人間に言われたくはないとは思いますが、危うい人は放っておけませんし、お互いに嫌な気持ちを抱えたままになってしまいます。
楽しく生きたいですからね。
まとまりのない記事になりましたが、何が言いたいか伝わったでしょうか?
これからの時代は、精神疾患の勉強も義務化するべきだなと思いました。
取り留めもなくすみません。
そして、最後までお読みいただきありがとうございます。
メンタルが復活したら車のジャンルに戻します。
ありがとうございます。