考えるのが辛すぎて、あまり向き合ってこなかったのですが…
なぜ ふたりは秘密を持ったのか…
なんですけど…
秘密って
アンドレは右目も見えなくなっていること
オスカルは(多分ですが)胸の病に侵されていること
です
アンドレの場合、もしばれてしまったが最後
四六時中オスカルの側にいることは叶わなくなります
しかも、彼女がどれほど自責の念に駆られるかと思うと
絶対隠し通さなくてはいけないと思ったでしょう
また、オスカルも自分が病んでいることが知れたら
アンドレが「おれが側にいながら」と、どれほど悔やむか想像できましたし
また自分の思うところの道を歩むことができなくなります
ふたりともこうするより他はなかった…
悲しいです
😭 😭 😭
アンドレは戦場でオスカルを敵の銃弾から護りたいと願い
結果的に望んだとおりとなりますが
普通に考えてアランの言うように、
「戦場で眼の見えないものが何ができる!死にに行くようなもんだ!」
でしょう
オスカルを庇って銃弾を浴びたのは奇跡のようなもの
オスカルにしても、これはずるいと言ってしまっていいのか
胸の病のせいで自分の命が長くないことをうっすら感じています
それはすなわちアンドレを残して逝くということ…
互いに先を争って死に急ぐように思われます
これは、この美しいふたりの誤謬みたいなものです
さらに池田先生の演出の素晴らしいところは、オスカルアンドレ互いに「もしかしたら…」と
相手を勘繰る場面を入れています
しかしふたりは、愛する人の不幸を見たくない、という思いで目をあえてそらし
徹底的に追求はしません
うん… そうだよね……
そうして物語は、奔流に巻き込まれるように革命という大きな渦に突入していきます
この結末(オスカルとアンドレの戦死)があるので、先の私の疑問は宙に浮いたままになるのですが
あくまで歴史的には架空のふたりだからこそ、そこはぼんやりしたままでとどめ置きたい気もします
🍂 🍂 🍂 🍂 🍂
そしてここからいっきに池田先生の視点に立って(勝手に)考えてみたい
若き池田理代子という作家が描こうとしたものは、
大きな歴史のうねりの中には、英雄でもなく功績を残した者でもなく、
多くの名もしれない人々の愛や苦悩や慈しみがあった、ということではないかと思います
実在のルイ16世もアントワネットもフェルゼンも、オスカルやアンドレと同じく
苦悩し、人を愛し、成長していく人物として描かれます
肩書きを外したら誰一人偉人はおらず、ただただ精いっぱい生きようとするひとりの人格です
私は「オスカル様」に憧れて生きてきましたので
彼女の喜怒哀楽をねほりんぱほりん(by NHK)してしまいますが
池田先生のペン先は、全ての登場人物に平等に開かれているので
尽きせぬ二次創作の想像の翼を刺激します
それは先生が、人間を描くということに心血を注いで
『ベルサイユのばら』の物語を創作したからだと思うのです
ありがとう 池田先生☺️
何杯でもおかわりできまっせ(違う💧)

