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「小学校の行事で宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の演劇観たんだけど、ぶっちゃけ内容がよく分からなかったよ。

先生にあれはどういうお話なのか聞いたら

『そうだねー。あれは賢治の世界観という感じだよね』

って言っただけで、どういうことなのか分からなかったよ。」

と娘(11)が言う。

ーああ、それちょっと分かるな、と思った。

自分が小学生の時

「漫画読まないで宮沢賢治の本とか読みなさい。」

と、知った顔でいう大人たちがよくいた。
教科書でも、ガールスカウトの学習課題にも、宮沢賢治がたまに登場した。

でも、私はいつもよく内容が分からなくて、おまけに心がゾワゾワする感じも生理的にイヤだった。

オトナたちは、なぜかあたかも『私はケンジをよく分かっています』みたいな表情してたから

自分だけ物語を理解できないのは
国語が苦手だからと結論づけてたし

みんな分かってるっぽいから
恥ずかしくて分からないって言っちゃいけない気がしてた。

40超えてよく分かった。

果たして当時の大人たちのどれくらいが
「銀河鉄道の夜」
のあらすじを言えたのだろうかと。

そして、私も
娘からこの話をされた時点でもなお
よく分かっていなかった。

ーということで、この期に「銀河鉄道の夜」を深ぼってみることに。

「私は小学校の時に、このストーリーの言いたいことがちっともよく分からなくてつらかった記憶があるから、いまさらながら分かりたい」

と伝えると、娘ハナも乗ってきた。

そのまま本を読んだり映像を見ても
意味不明で終わる可能性があったから

『中田敦彦のYouTube大学』
で銀河鉄道の夜を解説してるのをまず試聴して、メモに起こすことに。(分かりやすかった!)

そんなふうにして
内容の大まかをおさえた上で
アニメーションを観ることにした。

すると、途中から娘(9)も加わってきた。

「私もふかぼってみる!」
と言って、紙とペンを持ってきた。


ところで
『銀河鉄道の夜』は古いアニメーションだし、何より暗いし不気味。
2人はあっけなくリタイアするかと思いきや

むしろ物語の考察を声高らかに展開しはじめた。

「これは時間を遡っているのかもしれない。」

「猫しかいないと思ったら、途端から人間が入ってきたのには、どんな意味があるんだろう!」

「もしかしたら階段は時間の流れを意味してるのかもしれない」

「巻き戻して最初の風景と比べてみよう!」

白熱した立派な国語の授業のごとき状況に。



ーさて。

宮沢賢治もそうだけど

子どもたちの白熱っぷりがむしろ興味深くて考えてみた。

そして思った。

もしかしたらこれはアニメーションどうこうとか、そういうこと以前に

「親が分からないから分かろうとする状況」

に付随したモチベーションだったのではなかろうかと。

私の方がより分かりたい
発見したい

親より先に、親の思いつかなかない発想をして
親が感銘のひとつでも表していたら

自分に対して誇らしい気持ちになるだろう。

私は小学生で宮沢賢治の作品がイヤだと思ったのは
作品のストーリーが分からなかったもそうだけど

大人たちがみんな『正解』を分かってる雰囲気醸し出していたのもあるかもな

 

などと思ったり。

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