今日、ドラマを見て、ドラマの内容や映像でフラッシュバックし、
もう、10年を越えてから、あまり話す事もなくなった私の体験を少しお話
してみようと思います。。。

1994年12月、私は結婚しました。。。
神戸市東灘区の公団住宅の12階で新生活をスタートしました。。。
旦那は母一人子一人で、結婚後、義母は一人暮らしになりました。。。
そして、新しい生活にも少~し慣れ始めた頃、あの大震災に見舞われました。。。
うつ伏せに寝ていた私は、ドン!と下から突き上げられる衝撃で目が開きました。。。
「何?」と思った瞬間にもう一度ドン!その後は体がシェイクされるように
揺さぶられ、私は枕を抱えたまま喚きまわっていました。。。
かなりの時間、そうなっていたような気がしたけど、たった20秒の出来事だった
らしいです。。。
揺れが治まり、起き上がろうとしたけど起き上がれません。首だけ後ろに向けると、
タンスが私たち夫婦の上にドッサーと倒れ、乗っかかっていました。。。
旦那が何とかタンスを持ち上げ私が脱出、私もタンスをグッと持ち上げ旦那も脱出。。。
しかし、まだ真っ暗な中、立ち上がり、ダイニングキッチンの方へ出ると、
食器棚は形もなく、冷蔵庫は何故かドアを上に向け倒れ、太いテーブルの足が
無残に折れて壊れていました。。。
何と言っても結婚したばかり。。。まっさらな家財道具がすべて無残な姿になっているのを
見て、まず涙がわ~~!!と出ました。。。
明るくなるまで二人で押入れの中で待つ事にしました。。。
12階だったので、ベランダ越しに外を見ると、あちこちから煙が上がっていて、
火事が起きているんだなぁ・・・と思った瞬間、旦那がポツリと「お母ちゃんは
多分あかんわ・・・」と呟きました。。。
「何で?何でそんな事言うん?」と聞くと、「何かそんな気するねん・・・」と。。。
7時近くなって、外が薄明るくなってきたので、取りあえず、お互いの親の所に
向かおうとパジャマの上にコートを羽織り、外に出ました。。。
車に乗り込み、まず義母の所へ向かいました。。。
信号も消え、家々は無残に壊れ、国道には物凄い段差ができ、ソロソロ運転しか
出来ず、普段なら10分ほどで行ける所を30分以上かけ、母の家近くにくると
煙が上がっているのが見えました。。。
「燃えてる・・・」。。。車を乗り捨て、瓦礫をかき分け母の住む文化住宅の
近くまで行きました。。。
前の公園にでも非難しているに違いない・・・そう思っていると、母の2階に住む
オバサンが「お母さん、出られへんかってん・・・声はしててんけどな・・・」と。。。
もう、頭が真っ白になって、ただ涙だけがボロボロ出てきて。。。
消防車も来る事なく、ただ見ているしかできなくて。。。
するとだんだん、今度は自分の親の心配が押し寄せてきて、震えがきました。。。
私の実家もかなり古くて、家が無事なわけがない・・・不安が私を襲いました。。。
生きた心地のしないまま、車ですぐの私の実家近くに来ました。。。
無事だった叔母の家の横に車を停め、実家に走りました。。。
途中で、近所の人に「お父さんもお母さんも無事やで!」と聞いて、
ホッとしたものの、やはり家は無残に壊れていました。。。
でも、自分の親の無事を確認し、取りあえず着替えに帰りました。。。
タンスを起こし、取りあえず着替え、再び義母の所へ・・・
しかし、自然鎮火を待つしかないと。。。
そして、私の実家へもう一度向かうと、何と実家の向かいにあった両親の店が燃えて
いるではないですか。。。何てこと。。。腰が抜ける気がしました。。。
とりあえずその夜から叔母の家で非難生活。。。
叔母の家は葬儀屋さんなので、次々運び込まれる遺体で、私たちも手伝う事に。。。
そして5日後、、、旦那が母の捜索に行き、公衆電話から「見つかったで・・・」と。。。
私と私の母で叔母に骨壷をもらい、駆けつけました。。。
旦那はすでに瓦礫の中にあった花瓶に、母の亡骸をたくさん拾っていました。。。
私も泣きながら探しました。。。
今夜のドラマでも同じような場面が出てきましたが、本当に辛かった。。。
でも、結婚していなかったら、多分旦那もお母さんと一緒に死んでいたはず。。。
人間の運命ってあるんだなぁ・・・と思いました。。。
この時、私はもっと本当の家族にならなきゃ・・・この子(旦那)にはもう
私や私の家族しかおらへんねん・・・そう思ったのを思い出します。。。
現に、本当にこれをきっかけに、旦那もうちの家族に溶け込み、
父親は去年亡くなったけど、両親を本当の親のように大事にしてくれています。。。
これからも、あの時の気持ちを忘れずいないといけないな・・・と
今日のドラマをきっかけに、思い出させてもらいました。。。
長々と書いてしまいました。。。
読んでくださった方、ありがとうございました。。。