2017年1月20日(金)14:36
緊急帝王切開でしたが、無事、息子がこの世に誕生し、ママになりました。
遡る事2日前。
1月18日(水)から入院。
無痛分娩という事で計画出産の為の入院です。
その日はシャワーを、浴び、左手首に点滴針・背中から硬膜外麻酔の管を入れる処置をして頂き就寝。
この時は、翌日1月19日(木)の午後にはスルッと生まれてきてくれてるだろうなぁ。
痛みも生理痛程度に抑えられると先生も仰っていたし、大丈夫だろう。
そんな事を考えていました。
1月19日(木)
朝から分娩台へ行き、朝食を摂り、赤ちゃんの心音モニターをお腹に巻き巻き。
途中から陣痛室へ移動させていただき左手首の点滴から陣痛促進剤の投与を開始しました。
(点滴からは、栄養分と、促進剤と、4時間おきの抗生剤を常に投与されていました)
痛みが徐々に増して行き、その度に麻酔のボタンを押す。
促進剤の量を増やす。
の、繰り返しでした。
※押しても、陣痛の痛みはあります。
ところが、初産婦だからなのか、お腹の赤ちゃんも私の身体も出産に向けての準備スピードは超スロー。
結局この日は先生の判断で促進剤の投与を中止。
がっかりした私に、
「身体はお産の準備も出来ているから、もしかしたら今夜夜中に自然に陣痛が来るかもしれないよ。」
と先生に言われ、それを期待していました。
この日は陣痛室で就寝。
心音モニターは付けっ放しの状態で、何となく来る私自身が起こしている陣痛の痛みを感じながら一夜を過ごしました。
結局、陣痛もどきを感じたのは夜中の3時から5時位まで。
朝には胎動以外、何も感じなくなっていました。
1月20日(金)
夫はこの日も休みを取ってくれました。
ですが、前日もそうだったのですが、無痛分娩の場合は立会いは出来ないので、面会時間の14:00以降からしか来られないという事でした。
母は仕事が終わり次第面会に来てくれるとの事で、私自身も昨日の様子から察するに夜の出産かなぁ。
と思っていました。
ところが、再び促進剤を投与し始めたお昼前後、赤ちゃんの心音が下がるという事態に。
一旦投与を中止。
赤ちゃんの様子を見て、分娩台に移動して再び促進剤投与を開始。
既に私自身の陣痛も起こっており、麻酔のボタンを押しても痛みはかなりのものでした。
先生が私の様子を見に来た時には陣痛も本格的になっていたのですが、赤ちゃんの心音もその度に低下していたようです。
急に周りが慌ただしくなりました。
が、私は痛みに耐えるのに必死で、14:00過ぎに夫が来てくれた事に反応する余裕もなくなっていました。
陣痛が起こる。
生まれてこようと下りてきていた赤ちゃんの顎が上がったまま、産道に息子の頭がはまってしまう。
息子の心音が下がったまま戻らない。
医師の判断で、今すぐ20分以内に取り上げないと!
と、緊急帝王切開が決定したそうです。
↑これは後日説明を受けた経緯です。
実際は、何か不具合があって兎に角帝王切開!という状況を察するのが精一杯で、痛みと展開について行けず目が回りそうでした。
陣痛でお腹が痛くても深呼吸をせねばならず、苦しい。
周りは慌てて手術の対応準備を始めます。
分娩台から半分自力でタンカのような硬いベッド?へ。
そのままガラガラと手術室へ。
左側にいた助産師さんが「バタバタでごめんね、ごめんね😣」と言いながら、外で待機していた夫を見つけて
「ご主人!ご主人〜!!ついて来て!!」と、私のタンカを押しながらエレベーターへ乗り込みます。
夫は唸る私に、
「大丈夫だから!大丈夫だからね!」と、私の手を握って本当に短い距離でしたが声をかけてくれました。
大学病院ということもあり、手術室も幾つもあって、ガラガラとあっちこっちを走ったような気がしました。
いざドラマのような手術室へ入ると、中には10人以上の人が...。
※かなり緊急だった事と、研修医も居たそうで、人多め、麻酔医も多めだったらしいです。
ワー!ワー!それぞれの人が何か言い合い、緊張感が凄まじい。
口にマスクを付けられる。
分娩台からタンカへは私自身もゴロンと、移動しなければならず、タンカから手術台へもそれが必要なのか?
と思い動こうとすると、頭上の男性から
「こちらで乗せますから動かないで!!!」
と、叱られる。はぁ...。
これらの状況そのものが私の恐怖心を増幅し、一番近くに居た女性を手をガシッッと掴み
「私はどうしたら?!」と、目で訴えました。
彼女は「大丈夫!呼吸しましょう!!」と、私の目をじっと見て言ってくれていた、ような。。
こういう時、女性の方が汲み取ってくれるのでとても心強く感じたのを覚えています。
私の頭上だけで5〜6人は人がおり、それぞれがそれぞれの仕事を手際良く全うされている様子を感じられました。
眼鏡を外されたのも覚えています。
程なくして、手首の点滴からの全身麻酔(注入が結構痛い)で目の前は数秒でぐらぐら。
瞼はすぐに開けていられなくなりました。
あぁ、どうか無事に取り上げてもらえますように...
元気に生まれてきますように...
あわよくば、お腹は横に切って欲しい...
目が醒めると、数人が私の頭上で会話をしていました。
口から何やら太い管を抜かれ、
(どうやら全身麻酔だったので、呼吸の為の管だったそうです。)
「口に色々入れてたので痰とか出してくださいね〜。」と言われながら手術室をあとにしました。
お腹と子宮を切られているのに、咳やら痰とかはまず痛すぎて無理なのだけど。。
下腹部がズキンズキンと痛みます。
「お腹痛いです。」
と小声で訴えると
「痛い時はこのボタンを押してね。
規定量しか出ないようになってるから。」
と、いうことで、朦朧としながら背中の管から痛み止めを注入。
力が入らなかったので一回目は押して貰いました。
手術室エリアを出たところ?で、夫の姿が見えました。
息子が無事に生まれたことを告げられひと安心。
「お母さんは...?連絡...」
と、言い終わらないあたりで夫の後ろから母が登場。
夫からのメールを受け、仕事を途中で切り上げて駆けつけてくれたそう。
母の顔を見たら涙が出てきました。
頑張ったと、褒めてもらいたかったのかもしれません。
そのまま病室に行き、起き上がることもできず、
足には血栓予防のポンプが巻き付けられ常に動いていました。
左手首には点滴。
背中には痛み止めの管。
全身麻酔がまだ残っていたのか、朦朧としながら痛みと闘いつつ、母と夫と面会時間ギリギリまで一緒に居たと思います。
新生児室の窓越しに撮った息子の写真を見せて貰いましたが、自分自身は動けないので対面は出来ませんでした。


でも、無事に生まれてきてくれて本当に安心しました。
取り上げられてすぐに産声をあげたそうで、手術室で立ち会ってくださった小児科の先生も問題ないと仰ったそうです。
この日は絶食、水分も一滴も摂ってはいけないとの事で就寝。
水分も食べ物も不思議と欲しくはなりませんでした。
常にうつらうつらしながら、夜を明かしたと思います。
翌日土曜は朝からお昼までに少しずつ身体を起こす事、新生児室まで歩いて行く事。
この二点を目標にして過ごしました。
背中の管から常に痛み止めが注入されているとの事ですがそれでも傷は痛い。
痛み止めのせいで足は痺れて感覚があまりない。
なかなかハードです。
助産師さんの介添で何とか新生児室に辿り着き、息子と会いました。
面会に来ていた両親と夫は窓越しで息子と面会。

そして、無痛分娩用の硬膜外麻酔を入れてからの頭痛が、この出産後からピークに。
身体を起こすだけでズキズキグラグラ、傷の痛みとあいまってとても起きていられずに数日を過ごす事となりました。
緊急帝王切開でしたが、無事、息子がこの世に誕生し、ママになりました。
遡る事2日前。
1月18日(水)から入院。
無痛分娩という事で計画出産の為の入院です。
その日はシャワーを、浴び、左手首に点滴針・背中から硬膜外麻酔の管を入れる処置をして頂き就寝。
この時は、翌日1月19日(木)の午後にはスルッと生まれてきてくれてるだろうなぁ。
痛みも生理痛程度に抑えられると先生も仰っていたし、大丈夫だろう。
そんな事を考えていました。
1月19日(木)
朝から分娩台へ行き、朝食を摂り、赤ちゃんの心音モニターをお腹に巻き巻き。
途中から陣痛室へ移動させていただき左手首の点滴から陣痛促進剤の投与を開始しました。
(点滴からは、栄養分と、促進剤と、4時間おきの抗生剤を常に投与されていました)
痛みが徐々に増して行き、その度に麻酔のボタンを押す。
促進剤の量を増やす。
の、繰り返しでした。
※押しても、陣痛の痛みはあります。
ところが、初産婦だからなのか、お腹の赤ちゃんも私の身体も出産に向けての準備スピードは超スロー。
結局この日は先生の判断で促進剤の投与を中止。
がっかりした私に、
「身体はお産の準備も出来ているから、もしかしたら今夜夜中に自然に陣痛が来るかもしれないよ。」
と先生に言われ、それを期待していました。
この日は陣痛室で就寝。
心音モニターは付けっ放しの状態で、何となく来る私自身が起こしている陣痛の痛みを感じながら一夜を過ごしました。
結局、陣痛もどきを感じたのは夜中の3時から5時位まで。
朝には胎動以外、何も感じなくなっていました。
1月20日(金)
夫はこの日も休みを取ってくれました。
ですが、前日もそうだったのですが、無痛分娩の場合は立会いは出来ないので、面会時間の14:00以降からしか来られないという事でした。
母は仕事が終わり次第面会に来てくれるとの事で、私自身も昨日の様子から察するに夜の出産かなぁ。
と思っていました。
ところが、再び促進剤を投与し始めたお昼前後、赤ちゃんの心音が下がるという事態に。
一旦投与を中止。
赤ちゃんの様子を見て、分娩台に移動して再び促進剤投与を開始。
既に私自身の陣痛も起こっており、麻酔のボタンを押しても痛みはかなりのものでした。
先生が私の様子を見に来た時には陣痛も本格的になっていたのですが、赤ちゃんの心音もその度に低下していたようです。
急に周りが慌ただしくなりました。
が、私は痛みに耐えるのに必死で、14:00過ぎに夫が来てくれた事に反応する余裕もなくなっていました。
陣痛が起こる。
生まれてこようと下りてきていた赤ちゃんの顎が上がったまま、産道に息子の頭がはまってしまう。
息子の心音が下がったまま戻らない。
医師の判断で、今すぐ20分以内に取り上げないと!
と、緊急帝王切開が決定したそうです。
↑これは後日説明を受けた経緯です。
実際は、何か不具合があって兎に角帝王切開!という状況を察するのが精一杯で、痛みと展開について行けず目が回りそうでした。
陣痛でお腹が痛くても深呼吸をせねばならず、苦しい。
周りは慌てて手術の対応準備を始めます。
分娩台から半分自力でタンカのような硬いベッド?へ。
そのままガラガラと手術室へ。
左側にいた助産師さんが「バタバタでごめんね、ごめんね😣」と言いながら、外で待機していた夫を見つけて
「ご主人!ご主人〜!!ついて来て!!」と、私のタンカを押しながらエレベーターへ乗り込みます。
夫は唸る私に、
「大丈夫だから!大丈夫だからね!」と、私の手を握って本当に短い距離でしたが声をかけてくれました。
大学病院ということもあり、手術室も幾つもあって、ガラガラとあっちこっちを走ったような気がしました。
いざドラマのような手術室へ入ると、中には10人以上の人が...。
※かなり緊急だった事と、研修医も居たそうで、人多め、麻酔医も多めだったらしいです。
ワー!ワー!それぞれの人が何か言い合い、緊張感が凄まじい。
口にマスクを付けられる。
分娩台からタンカへは私自身もゴロンと、移動しなければならず、タンカから手術台へもそれが必要なのか?
と思い動こうとすると、頭上の男性から
「こちらで乗せますから動かないで!!!」
と、叱られる。はぁ...。
これらの状況そのものが私の恐怖心を増幅し、一番近くに居た女性を手をガシッッと掴み
「私はどうしたら?!」と、目で訴えました。
彼女は「大丈夫!呼吸しましょう!!」と、私の目をじっと見て言ってくれていた、ような。。
こういう時、女性の方が汲み取ってくれるのでとても心強く感じたのを覚えています。
私の頭上だけで5〜6人は人がおり、それぞれがそれぞれの仕事を手際良く全うされている様子を感じられました。
眼鏡を外されたのも覚えています。
程なくして、手首の点滴からの全身麻酔(注入が結構痛い)で目の前は数秒でぐらぐら。
瞼はすぐに開けていられなくなりました。
あぁ、どうか無事に取り上げてもらえますように...
元気に生まれてきますように...
あわよくば、お腹は横に切って欲しい...
目が醒めると、数人が私の頭上で会話をしていました。
口から何やら太い管を抜かれ、
(どうやら全身麻酔だったので、呼吸の為の管だったそうです。)
「口に色々入れてたので痰とか出してくださいね〜。」と言われながら手術室をあとにしました。
お腹と子宮を切られているのに、咳やら痰とかはまず痛すぎて無理なのだけど。。
下腹部がズキンズキンと痛みます。
「お腹痛いです。」
と小声で訴えると
「痛い時はこのボタンを押してね。
規定量しか出ないようになってるから。」
と、いうことで、朦朧としながら背中の管から痛み止めを注入。
力が入らなかったので一回目は押して貰いました。
手術室エリアを出たところ?で、夫の姿が見えました。
息子が無事に生まれたことを告げられひと安心。
「お母さんは...?連絡...」
と、言い終わらないあたりで夫の後ろから母が登場。
夫からのメールを受け、仕事を途中で切り上げて駆けつけてくれたそう。
母の顔を見たら涙が出てきました。
頑張ったと、褒めてもらいたかったのかもしれません。
そのまま病室に行き、起き上がることもできず、
足には血栓予防のポンプが巻き付けられ常に動いていました。
左手首には点滴。
背中には痛み止めの管。
全身麻酔がまだ残っていたのか、朦朧としながら痛みと闘いつつ、母と夫と面会時間ギリギリまで一緒に居たと思います。
新生児室の窓越しに撮った息子の写真を見せて貰いましたが、自分自身は動けないので対面は出来ませんでした。


でも、無事に生まれてきてくれて本当に安心しました。
取り上げられてすぐに産声をあげたそうで、手術室で立ち会ってくださった小児科の先生も問題ないと仰ったそうです。
この日は絶食、水分も一滴も摂ってはいけないとの事で就寝。
水分も食べ物も不思議と欲しくはなりませんでした。
常にうつらうつらしながら、夜を明かしたと思います。
翌日土曜は朝からお昼までに少しずつ身体を起こす事、新生児室まで歩いて行く事。
この二点を目標にして過ごしました。
背中の管から常に痛み止めが注入されているとの事ですがそれでも傷は痛い。
痛み止めのせいで足は痺れて感覚があまりない。
なかなかハードです。
助産師さんの介添で何とか新生児室に辿り着き、息子と会いました。
面会に来ていた両親と夫は窓越しで息子と面会。

そして、無痛分娩用の硬膜外麻酔を入れてからの頭痛が、この出産後からピークに。
身体を起こすだけでズキズキグラグラ、傷の痛みとあいまってとても起きていられずに数日を過ごす事となりました。