あるブロ友さんの記事に、
中学時代の理不尽な担任の先生の態度について
書かれていて、それを読んでるうちに共感し、
私も中学時代のある先生のことを思い出しました。



その方は、美術の男性教師でした。
元々その方の、私の提出画への評価には
辛いものがありました。

実は私は、小学時代にたまたま某新聞の広告に
「学芸会」について描いた絵が載ったことがあり、
小学時代の図画工作の先生とは相性も良く、
描いた絵はほとんど玄関ロビーに飾られ
区の展覧会にも毎回出品されてきました。


しかし、評価については仕方のないことです。
私は娘ほどではありませんが、
少し不同視で、立体視ができてません。
物や景色の立体感を描く力が不足しているのです。

中学の美術教師からしたら、
「小学生レベルの絵」だったのでしょう。



さて私には、社長令嬢の友人がいて
ある日 彼女から
「もらった物だけど私は使わないから、
ともえりちゃん使って」と
透明水彩絵の具一箱をプレゼントされました。

私はうれしくて、それを絵の具箱に収め
美術の授業中もお気に入りの絵の具を
使っていました。


ところがある日、透明水彩絵の具の箱は
どこかに消えてしまいました。
念の為、美術室の自分の席の下も見に行きましたが
ありませんでした。


そして数週間たった頃、
私は課題作品を提出するため美術準備室を訪れました。

そして先生の机上に、あの絵の具箱が
あるのが目にとまりました。
近所の文房具店で売ってるような品ではありません。
箱に付いた小さな傷やシミさえ覚えがあります。

「あ、これ、私のです」
単純に 忘れ物が美術準備室の机上に
届いていたのだと思って、よろこんで手に取ったところ、

先生は「ちがう! それは私のものだ」と言い出しました。( ̄□ ̄;)!!


私は黙って絵の具箱のフタを裏返しました。
そこにはマジックで私のフルネームが記されていました。

それを目にしてなお、美術教師は
「ごめん」どころか「あ、そう」と言ったきり
顔をそむけただけでした。


高校入学時に私は選択する芸術科目を「音楽」にしました。
主観で評価がこんなにも変わる科目はうんざりだったのです。


それでも絵が好きだったので、
週一の必修クラブは「美術クラブ」にしました。
高校の美術の先生は、逆に大変面倒見の良い先生で
正規の授業で油彩を習っていない私にも
道具選びから指導してくださいました。


件の美術教師は、その後 風の噂で
別の中学の校長になったと聞きました。
今はもう退職してらっしゃることでしょう……


ブロ友さんの記事を読み、
今になって あの美術教師は何だったのだろうと
私も考えました。

いろんな大人がいることを教えてくれた人?
音楽クラスの友人たちと出会わせてくれる為の人?


こう書いてみると、シンデレラの継母みたいな存在ですね。
……あ、別に音楽クラスで王子さまに出会ったということでは
ありませんよー(笑)

あの丘
そんな高1時代の油彩画 『あの丘へ』 F8


P.S.最近、脳とPCの調子が良くなかったので……お久しぶりです。
また遠い過去のモヤモヤに区切りがつきました。m(_ _ )m



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