南三陸の福興市(復興市)は、町の人たちにも「しばらくぶりで町の皆と会えた」という機会にもなったそうです。
勾当台公園などの地場産品販売に、とにかくいつも元気に登場していた、松野さんのお母さん。なつかしくて声をかけたら、いろいろなお話をしてくれました。震災当日、自分も病気で入院していたこと、とにかく逃げた!こと、津波の恐ろしさ、まだみつかっていない人がいること、被害の状況を観光のように見に来る人のこと・・・。
「町の人たちにも、いろいろな考えや意見がある。でも、残った人の中でできることはやろうという考えに、賛成。」
今日は、「ほたてごはん」「あさりごはん」「ふのりの味噌漬け」「うめひじき」などの加工品を販売。
松野のお母さんのところも、加工場は高台にあってなんとか使える状態だそうです。が、漁場が被害を受けたので、仕入れに苦戦。現在は、被害の前にとれたものを使って、製造、販売をしているそうです。
松野のお母さんが言っていました。「南三陸町は、ぜったいに一番早く復興する。」と。「工場も店舗もなにもかもなくした山内鮮魚店の山内さん(社長さん)が、やっぺ、って言ってるんだよ。できることはやらなきゃ、ね。」
こういう惨事のときに、やはり「コミュニティの力」がどれだけだせるのか、で、復興の速度は変わっていくのだと感じました。先日うかがった田代島でも、「仁斗田地区、大泊地区、と地区別に・・なんていっている場合じゃない。島をあげて、どうするかを考えていかなくてはいけない。」というお話を聞きました。
コミュニティという単語が、現実的に感じられた1日でした。






