1月19日午前1時頃、いつもの前駆陣痛とは違う痛みがあり、間隔を測り始めました

10分間隔になりましたが、なかなか5分間隔にはならず、どんどん間隔があいていき、そのまま寝てしまいました

昼間は痛みがなくなり、ご飯も食べれました

しばらく陣痛は来ず‥
1月20日午後7時頃、ご飯を食べているときにまた痛みが。
本陣痛がくる前にお風呂に入って、すべらない話
を観ていてまた痛みがきて、だんだん笑えなくなってきて(笑)間隔は5分くらいに。でも痛みはまだ強くなっていない感じはしましたが、とりあえず病院に電話
を観ていてまた痛みがきて、だんだん笑えなくなってきて(笑)間隔は5分くらいに。でも痛みはまだ強くなっていない感じはしましたが、とりあえず病院に電話
11時頃父と母と病院に向かいました。
夫にも連絡して病院に行くように伝えました。
妊婦さんは他には誰もいなかったので、最初から分娩室に入りました。
子宮口は2センチ程開いていて、痛みもだんだん強くなってきました。
分娩室には家族が一人しか入れないので、夫が入り、父と母は一旦帰りました。
とにかくお腹よりもお尻が痛く、痛みがきたときにお尻を思いっきり押してもらうのが楽でした。
夜中でも義母も心配で面会に来てくれて、お尻をさすってくれました。
朝になるにつれてだんだん痛みが遠ざかり、夫もソファーで寝てしまい、私も少し寝ました。
朝食の時間になり、痛みが少なくなってご飯も普通に食べれました

陣痛が弱いので、陣痛室に戻されることに。
そこからが長くて辛い時間でした

夫は一時帰宅し、母が交代で来てくれました。
その頃にはまた痛みが強くなって間隔も短くなっていました。
昼の12時頃、お昼ご飯半分くらいを無理矢理押し込み、再び分娩室へ。
スクワットをしたり、歩き回ったり、陣痛がきたら立ったまま壁に頭を押しつけて耐えました。
母は頭から血が出るんじゃないかと思ったそうです(笑)
14時頃、夫が戻ってきて母と交代。
子宮口は5センチくらい。
助産師さんがおっぱいマッサージをしてくれたら一気に痛みが増し、夫もお尻を押し返してくれました。
それでも陣痛が弱く、促進剤を入れていきました。
17時頃、赤ちゃんが少し弱ってきたので緊急の場合帝王切開にすると言われ、いつでも処置できるように手術室に移動しました。
子宮口は7センチ。
また促進剤を入れて、いきみ始めました。
赤ちゃんが少し見えてきたところで、主治医の先生と、NICUの先生たちが大勢入ってきて準備を始めました。
夫が冗談を言って笑わせてくれたり、それを聞いて助産師さんたちも笑ったり、その場が明るくなっていました

最後のいきみのときはちょうど19時になろうとしていました。
それに合わせて思いっきりいきみました。
「産まれたよー!」「お母さんっ!産まれた!」
産声が聞こえなかったので、私は産まれたことに気づきませんでした。
横を見ると夫は号泣
私より先に泣いていました(笑)
私より先に泣いていました(笑)ひなちゃんはすぐに管をつけられて、私の胸にきました。
呼吸が安定してたら赤ちゃんを抱きたい
という、バースプランをすぐ叶えさせてくれました。
家族3人で写真も撮ってもらい、私が処置してもらっている間に夫はひなちゃんを抱いて写真を撮ってもらいました

それからひなちゃんは保育器へ。その時に少しだけ泣いたそうです。夫は聞こえたと言っていました。私は縫われていて痛くて聞くことができませんでした

それからNICUにひなちゃんは運ばれていきました。
主治医の先生は私を縫いながら、助産師さんたちに早く抱かせてあげて!早く!と急いでいたのが気にかかっていました。
ひなちゃんとあんなに写真も撮れて、抱っこもできてよかったのかな。早く処置したほうがよかったのではないか。と不安になりました。
処置が終わって、ベットに横になったまま待合室に待機していた両親たちと1人ずつ面会しました。両親たちも保育器に入って処置に向かうひなちゃんと対面できたそうです。
助産師さんと入院する部屋のことなどを話して、
「この後食事がでるけど、旦那さんの分はないから買ってきてって連絡してみて」
と言われ、両親たちと一緒にいる夫に連絡をして買いに行かせました。
それからすぐ、みんながバタバタし始めて、
「赤ちゃんが急変したから、旦那さん呼んで!」と言われて、すぐに連絡しました。
私は何が何だか分からず、ベットのままエレベーターでNICUの階に行きました。
夫も走って戻ってきました。
はっきりと覚えていませんが、新生児科の先生が、もう助からないようなことを言っていて夫はその場で泣き崩れました。
私はまだ状況が理解できませんでした。
処置室に入り、ひなちゃんはほとんど呼吸ができていませんでした。そのまま息をひきとりました。
産まれて2時間でした。横隔膜ヘルニアの合併症で気胸でした。
入院する部屋は通常の出産をした妊婦さんと違う階で、一番隅の広い個室にしてくれました。
ひなちゃんは霊安室にいることになるだろうと思っていましたが、一緒に部屋で過ごすことができるということにびっくりしました。夫も同じ部屋に泊まれるということでした。
私はひなちゃんが亡くなって悲しい気持ちより、出産したという達成感のほうが強く、涙がでませんでした。
両親もしばらく部屋にいましたが、
「お腹すいたでしょ?遅いし帰って大丈夫だよ?」
と、そういう心配しかできませんでした。
両親たちが帰ったあと、夜12時に沐浴をすると言って看護婦さんが来ました。
私は出血がひどくて、ふらふらして立ってられない状態だったので、ほぼ夫と看護婦さんが沐浴をしました。
沐浴は毎日してもいいと言っていたので、次の日にもすることにしました。
夫は疲れていて簡易ベッドでもすぐに寝てしまいました。
私は産後の興奮状態と縫ったところの痛みでなかなか眠れません。そして何も泣かずに大人しく寝ているひなちゃんが気になって。
4時間ごとに看護婦さんがひなちゃんのドライアイスを替えに来てくれました。
私が眠れないと言ったら、暖かいタオルを持ってきて腰にあててくれました。そのタオルのお陰で眠ることができました。