「隣に住んでるのも、ちょっと嫌だ」
こんなこと、オフレコであっても
誰に対しても言っていいのだろうか。
100歩、いや1万歩譲って
自身の気持ちとして感じるのは仕方がない。
しかしそれを公の場で
しかも国の中枢に居る人物が言ったら…
想像できなかったのか。

謝る先は首相。
心底、軽蔑した。
そして、今回もしっかりと傷ついた。

そんな発言をする人の身近な人が
当事者でないことをただただ祈るしかない。

何度傷つけば、傷つけられればいいのだろう。
はじめは涙こそしていなかったけれど、
自分の存在を、パートナーの存在を
否定されて、ただただ悲しかった。

別の件で、母と話している時
母の些細な発言で疎外感を感じ、
一気に泣いてしまった(全然関係ないことで泣き笑い)
いつもなら言い返すし、
何も深く思わないけれど
傷ついていたんだとその時に気がついた。

それでも私は今日も
彼女の帰りを待ち、おいしいご飯を作り、
一緒にごはんを食べて眠りにつく。
気持ち悪い同性カップルが
隣に住んでいてごめん。
でもこれが私たちのせいかつだ。
日常なのだ。

国を捨てる人が出てくると言っていたらしいが、
実際こんな日本に見切りをつけ、
海外に旅立った人も沢山いるであろう。
そして、法律婚が認められたら
真っ先にあなたが出ていってほしい。

今回の件は珍しくニュースでもかなり
取り上げられている様子。
ここにきてさすがにまずいと思ったのか
理解増進法を進めようとしているとか…?
うーーん、どうしてこうもずれているのか。
私たちが求めているのは差別禁止なのに。

Tokyo Rainbow Prideの時に
協賛してたくさんの虹色を掲げていた企業たち
今声を上げずしていつ上げる?
PRIDEを広告として使っていると
判断してしまう。

言いたいことは山ほどある。
こんな思いは何度もしている。
しかし未来の子どもたちに
こんな思いはしてほしくない。
クィアであると気づいた時に
悩んだり迷ったりするけれど、
自信を持って自分の人生を
選択出来る日本であって欲しい。
傷ついても声を上げているのは
私たちのため、何より未来の子どもたちのため。

ある著名人のツイートの
コメント欄にこんな言葉があった。
「同性婚を認めたとして、社会にメリットがひとつもない」と。
私たちは、社会の一員からは
外れているのだろうか。
皆と同じように働き、税を納め、
悪いことをするでもなく、
一応真っ直ぐに生きている。
扶養に入れず、配偶者控除を受けられない
私たちのデメリットは
何も感じてくれないのだろうか。
伴侶が同性というだけで
あとどれだけ傷つくのだろうか。


2013年NZで同性婚を認める法案が
通った際の議員のスピーチがある。
そう、2013年、10年前。


これを機にたくさんの人が
考えてくれるきっかけになればと思う。
なにか感じてくれたら、
少しでも、隣にいるかもしれない
私たちのことを考えてくれたら。
あなたたちの生活は何も変わらないけれど
私たちは結婚という選択肢が増えるかもしれない。
どうかどうか、
私たちをこれ以上、傷つけないでください。



それでは。