私は少し間違えていた。
というのも、ある人のツイートを見て
衝撃を受けたのだ。

これは「同性婚が認められたとして、関係ない人に迷惑はかからない」という理論でも、
社会的不利益や個人的な気持ちの話しでもなく、
権利の話しなのだと。(意訳)

た、た、た、たしかに。
当たり前の人権を脅かされてるから
私たちは声を上げているのだ。
そうだった。
今は悲しみや憎しみの気持ちが
どうしても湧いてくるから
攻撃的な気持ちや
こっちの事情も知らない人が
ぺらぺらと自分本意に話さないで欲しいと
思ってしまっていたけれど、
私たちは当たり前の権利が欲しいだけ。

今日はグッドドクターを見ていた。
原作のアメリカ版なので
当たり前にゲイの夫夫が出てくるし
医療の現場で当たり前に付き添えて
事情も説明される。
患者が「夫がくる」と説明しても
誰も驚かない(ドラマだからね爆笑)
でもそれがきっと
同性婚も当たり前にある国ではそうなのだろう。

今日は飲み会に出かけた彼女が
歩いて帰っていたので
近くまで歩きで迎えに行った。
私に気づいて小走りで向かってきたのに
脇を通り過ぎようとする茶番をし(なんでだよ)
笑いながら家路に着く。
春からの生活もどうしよかな〜と
ふたりで悩んでいる。
家族なので。

ふと考える。
私が明日どこかで倒れたとして
彼女は私に会えるのだろうか。
そうなると連絡も行かず
突然私が居なくなることが無いとは限らない。
私がいつか病院で命の危険に晒された時
彼女は私に会えるのだろうか。
親族のみと言われてしまえば
彼女は私の死に目にはあえない。
もし私が事故にあって脳死状態になった時、
私の呼吸を止めるのは彼女の決断であって欲しい。(この手の話彼女は恐らく泣いてしまうのでまだ話せてないなあ。)
逆もそうだ。
でもそれが明日こないとは限らない。
同性婚が叶わず、亡くなってしまった方もいる。
急に愛する人を亡くす悲しみと
誰からも二人の関係を証明されなかった事実。
どうしても、私はそれが怖くて仕方がないのだ。
何年一緒に居ようが、
二人のペアリングがあろうが。

今の日本の状況じゃ2人の関係を
祝福して欲しいとは言えない。
どこにいても、日本のどこでも
私たち二人の関係が
証明されて欲しい。ただそれだけです。
司法だけは私たちの味方でいてほしい。




それでは。