‘屋根裏部屋皇太子'結末、ハッピーエンドを装ったサッドエンディング
韓国日報原文記事転送2012-05-25 00:35最終修正2012-05-25 00:55
ドラマ‘屋根裏部屋皇太子’の長い旅程が終わった。
その間ミステリー、メロー、コミックなど多様な要素を適切に混ぜ合わせた新しい試みで連日視聴者たちの居間に新鮮な笑いを伝達した‘屋根裏部屋皇太子’は俳優らの硬い演技力と過去と現在を行き来する整っている構造で好評を受け入れた。
だが、放映終了を控えて殺人、拉致、監禁など刺激的な素材が乱舞して所々穴が見える粗末な展開で序盤の名声を継続できなかった‘屋根裏部屋皇太子’は最後の回にこのようなすべての憂慮を払拭させてその間歩いてきた道のように暖かくて美しい結末を迎えた。
“生きても死んで、死んでも生きるということ”劇序盤に登場して連日解けないミステリーに残ったこの命題に対する解答はすなわちプヨンだった。 プヨンの言葉の意味を解けば池の上に咲く蓮の花だ。 そしてこの蓮は泥の中に埋められて死んでこそまた花で生き残る。 このように生きても死んで、死んでも生きるという意味のプヨン(蓮華)はこのような人生を生きていった‘プヨン’の人生とも似ていている。
プヨンは一生を胸の中にだけ抱いてきたイガクに向かった愛を死を通じて伝える。 そしてこのような死はプヨンが自身の心を伝えることができた唯一の方法だった。 そうしたので危険に直面したイガクの状況を知ってプヨンは気迷いなしで自身のからだを投げることができたことで、これはプヨンの転生のパクハの行動とも一脈相通じる。
このように‘オクセジャ’は‘タイムスリップ’と‘転生’という素材を賢く利用して視聴者たちに過去の人物で現在の人物を思い出させられるようにした。 これは劇全般に敷いておいた細かい装置らと硬い脚本の完ぺきな符合があったので可能なことができた。
イガクの転生のヨンテヨンは米国でパクハを見るやいなやなぜか分からない引かれるということを感じる。 そしてこのような‘引かれるということ’はヨンテヨンがパクハに対する懐かしさを持って命を終えたイガクの転生だったので可能だったのだ。 このように長くて長い時間を回って回って生まれ変わったヨンテヨンの前にいるパクハはヨンテヨンにイガクの姿を見て新しい愛の開始を予告した。
また、当初から世子嬪毒殺事件を解決するために現世に来た皇太子は毒殺事件を解いた後また朝鮮に帰らなければならない運命だった。 これで時間を逆らってなされることはできない愛したイガクとパクハは結局お互いの場所に与えられた運命の場所を守る。
もしイガクが昏睡状態のヨンテヨンの体で生まれ変わったとすれば、パクハとの完全な記憶を大事に保管したまま完ぺきなハッピーエンドで終わったことだが‘オクセジャ’は最後まで‘オクセジャ’らしかった。 かえってこの不完全なハッピーエンドは視聴者たちにより一層濃い余韻を残し、これまで散らばっていた多様な伏線らを一ヶ所に集めてそれなりの結末を想像できる余地を残してくれた。
このように3ヶ月という長い時間視聴者たちのテレビ劇場に涙と笑いを同時にプレゼントした‘屋根裏部屋皇太子’はパクハを懐かしがって生を送ったイガクと、イガクの姿を思い出させてヨンテヨンを愛したパクハの運命を暗示してハッピーエンドを装ったサッドエンディングで結末を結んだ。
だが、このようなサッドエンディングが惜しくない理由は、連日どん詰まり路線を歩んで‘衝撃的’であるかたをつけたその他ドラマらと‘オクセジャ’は違った感じに広く知られるためだ。 300年という長い時間を受け継いできてそれこそ“立派な”終わりを迎えたイガクとパクハの愛、その愛が切なくて詰まったような、その程度ぐらい‘屋根裏部屋皇太子’また、視聴者たちの記憶の中にいつまでも位置するだろうという気持ち良い予感がする。
http://news.nate.com/view/20120525n00401
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