この16日 父が亡くなりました。

いつかは来る事と覚悟していたけど
驚く程 あっという間でした 。

元々頑健ではなく 病気がちだったから
肉体の限界が訪れたのでしょう。

娘3人なので 喪主は長女の私に。。

姉妹というのは 決め事はスムーズで

オシャレだった父らしく
カラフルに送り出してあげよう~と 祭壇はひまわりやバラでいっぱいでした。

実家の宗派では 白装束をしないとの事で
服装も 昨年秋一緒に正倉院展へ出掛けた時のもの

紫のストラップのシャツと 紫のベストで 首筋にはお気に入りのスカーフを巻いて 帽子も持って

細々とした事は 実家住みの妹達がしてくれて
私は 母載せて車往復の毎日

昨日告別式と初七日法要も終わりました。


父が倒れて2年半。

徐々に肩の荷を移されてはいましたが
いよいよバトンを渡された訳です。

喪主の挨拶は 私の知る父をお話しました。
文例にある 決まり文句は使いたくなかったし
念の為にハンカチに仕込んだ原稿も見れる雰囲気ではなかったし。。


娘の結婚式で 婿の神妙な緊張した顔を見て 挙式してよかったと思いましたが、
今回は 私自身がその立場。

いつかは同じ立場になるであろう息子と婿への参考になるべく この数日間は動いていました。

特に婿は 親族葬儀参列は初めてで 一つ一つ神妙に参加してくれました。

斎場では ご住職のお話を一緒に聞ける様に
同じテーブルに座らせたので
ご住職も彼らに向けたお話をしてくださいました。

息子も婿も私の思いは解ってくれていた様です。
息子はめったにない優しい言葉を掛けてくれて
婿は神妙に付き添ってくれてました。

私も今更ながら父が祖母の葬儀の際 準備の全てに私を呼んでいた意味を理解しました。

こうして見えないけど受け継いで行かねばならないものを
疎かにしない様に

それを改めて教えられたと思います。


今回母は父の意識が有るうちに数十年ぶりに対面を果たしました。
同居の際冷戦になった上の妹の義母も両日参列し
告別式には疎遠だった下の妹の義母も参列してくださいました。

全部父が雪解けのきっかけを作って
微妙なマイナスの気持ちを持って行ってくれた様に思います。

そんな父の思いに応えるべく これからもみんなで協力して過ごして行きたいと思います。

妹達や義弟達には 本当に感謝しています。
彼女達の強い思い、そして義弟達がそれを理解してくれなかったら
父は最後まで娘や孫達に囲まれて過ごす事は出来なかったです。

そして連休前に入院し私の予定休に亡くなったのも きっと娘や孫全員に居て欲しかったのだと思います。
そう、私の娘も大学のテストで私はたいたい連れて池袋で娘の帰りを待機していたタイミングでした。


浅かった呼吸が止まり 動いていた脈動が止まり
その間他は全く変わらず
眠る様に行ってしまった父。

最後の最後まで 本当にありがとう!
今の私が有るのも
子供達が無事成人出来たのも
ひ孫を見せる事が出来たのも
全部貴方のおかげです。

貴方の娘で有る事を誇りに
貴方の思いを忘れず
これからの日々を前向きに歩いて行きます。


そして支えて下さった皆さま
今までありがとうございます。
今後ともどうかよろしくお願いいたします。