中学生になった。
さすがに話せなきゃだめだ!と思い、異常に速く脈打つ心臓を気にしないようにして学校に行った。
教室に入ったら早すぎて人はいなかったか、二人くらいしかいなかった。同じ小学校の人だったから良かった。
頑張って「おはよう」と言った。
相手の子もおはようと返してくれた。
緊張してそのあとは一言くらいしか話せなかった、かな。あんまり覚えてない。

それから人が沢山きて、担任になる人が入ってきて点呼されて。
私は名前を呼ばれたら「はい」と言った。その時少しざわついたのを覚えてる。
そりゃ今まで一言も喋らないやつが喋ったら驚くよね。笑
そういうリアクションが嫌なんだけども。


けれどその頑張りも心には重圧で、すぐに話せなくなった。でも名前を呼ばれたら返事をするとか、当てられて答えなければいけないとか、授業に支障が出ないようにはできるようになった。
これは誰の支えもない、自力。頑張れって励ましてくれたり、心配してくれたりする人なんて家族にもいなかった。
そのせいか、中学校にあがってしばらくは朝トイレで、胃からは何も出ないのに嗚咽することが続いた。吐き出せないけど、そうすると気持ちが緊張が、軽くなった。


何ヵ月だろうか、ずっと一人だった。
見かねた子が、声を発するようになったが会話はできない私に手を差しのべてくれた。
救いだった。
とても感謝してもしきれないくらい。その子がいなかったら私は今頃どうなっていたんだろうと思う。


5、6年生は四年生と同じような感じで、それがもっと解放されたような…。だいぶ笑うことが多くなって時々、なんで自分は生きてるんだろ死ねばいいのに、という思いを忘れるほどになった。

それでも緘黙の私には色々なハードルが沢山あってそのハードルは卒業式という最後の最後にあった。それも自分にとっては一番高い壁。

卒業証書授与で名前を呼ばれたら将来の夢を言わなければならなかった。
行き違いで私は本番では自分で言うことになってしまった。
今思うととても酷なことを強いられたなぁと。笑
笑い事じゃないけども。
今まで話せなかったのに、いきなり何百人の前で話せ、と。

本番、私は声を発することができず会場はざわついた。
友達が代わりに言う。証書を受け取る。違う意味で泣いた。
自分が情けなかったし、怖かったし、心底死にたいと思った。でもそんな複雑な感情を声に出して言えないから誰も理解してくれなかった。

私は家族さえも理解してくれていなかったから、あんた言えなかったね情けないという言葉にどれだけ傷付いたかなんて多分誰も知らない。
私は誰も知られていないところで数えきれないほど、傷付いた。
卒業式は最大の自己嫌悪と自殺願望が生じた最悪の、忘れたいけど忘れられない最低な日になった。

そんな日に、笑えるわけないじゃない。
ねぇ。


三年生になった。
クラス替えがとても苦痛で嫌だった。
また、あの子喋らないなぁ変なのと思われる。
苦しかった。

四年生。
またクラス替え。
嫌だ嫌だ。
しかしこの頃だろうか、書けなかった作文や社会科見学新聞などがやっと、書けるようになった。
緘動も入っていたのだろうと思う。
そして、理解とまではいかないだろうが、構ってくれる子が、友達と言える子ができた。
そこから笑えるようになったし、身ぶり手振りで自分を表現できるようになった。
仲良くなっていく過程で話したいと思うこともあったが喋らない子、というプレッシャーは大きく結局会話はできるようにならなかった。
だが自分を出せるようになったことは大きい。転機といえるかもしれない。