嵌められた!

ツケいられた!

 

と思います。

自分の事。

何十年も!

 

親との関係が全くその通りだった。

 

 

今思って本当に苦しい日々でした。

しかも私は“自分は本当に不幸”という自覚がなかった。

これこそが不幸

という自覚が本当になかったのです。

 

本当はずっと

誰か助けて!と思っていて

でも助けてもらえない。

自分のことは自分で解決しなくちゃってずっと思い続けていて…

 

 

 

私の頑張りをさも“自分の手柄”であるかのように

いつもいつも取り上げにくる人間がいたのに…

 

 

 

こんなに苦しいことはありません。

 

 

 

私の母は何が自分の思い通りに私を動かしたい時に

使った言葉は

「私(母)が(父に)殴られてもいいの?」

でした。子供だった私は震え上がって手にしていた幸せをすぐに手放してしまう…

コレ、『私に都合がいいように(彼女の精神安定剤=私の不幸)動いて務めを果たしなさい』と言っているのです。

つまり私を自由自在な“盾”にしていた。

子供の頃から本当にこの言葉を聞くのが嫌だった。

 

子供の前でものすごい夫婦喧嘩を繰り広げる人たちでしたから。

 

子供の頃の私の願いは

今日は(両親が)喧嘩しないといいな…

仲良くしてほしい

でした。

 

ほんの小さな子供がこんなことを思っていることを“不幸”というのです。

 

 

 

そんな関係しか作ってこなかった夫婦を見て育ったことも問題なのですが

 

ここで一番の問題は

私にとって一番”不幸の元”の人にしがみついてしまう。

本当にこんなこととずっとずっと繰り返してきてしまいました。

大人になってもこの力関係に私が支配され続けたということなんです。

こんな大問題を持ったまんま“幸せになりたい”

 

 

無理です!

 

 

じゃあどうしたらいいのか。

事実だけを見る事。

両親の関係は両親の問題で、母の問題は彼女自身の問題。

本人がその問題に向き合わないことを初めとして。

私を盾に向き合わずに生きていこうなんて卑怯なんです。

私はずっとずっと巻き込まれていただけ…

 

 

ちゃんと”母”である前に”一人の人”として別々の人として見る。

自分とは全く違うことをきちんと見て切り離し、

私は“私”を取り戻す。

ツケいられることから

勝手に巻き込まれることから

私を救い出す。卑怯者の泥沼から。

 

だって私は誰かを巻き込んだりしない!

 

 

でもね、頭の中って本当にお喋りで直ぐに前の自分に戻ってたりするんです。

 

気をつけましょう。

引き摺り下ろされてしまうと

今度は

自分が自分を一番不幸にしている事になってしまう。

 

それは卑怯者の沼の人の戦略なんです。

 

繰り返す事に私もがっかりしてしまいました。


 

劇的に考え方を変えられた事に大きく感動して

そのあまりに簡単に元に引きずられることはまたショック。

 

 

これもおかしな完璧主義なんです。

すぐなんでもできるようになるって…

ないでしょ。

 

 

安易に幼稚な関係引き込まれて

感情に擦り回されて不安だらけの不幸な反応を繰り返した日々の長さに比べたら…

新しい見方に対しては

まだまだよちよち歩きなんです。

本当、不幸の熟練者だったんですから。

Babystep

 

車ならナビなしの車に乗ってる。

『おっとこっちじゃない』

ってハンドル切り返して、ちゃんと生きましょう。

 

気が付いたら自分を整え直す。

自分を自分で救う。

これでいいんです。