朝晩が涼しく、昼は時々暖かく。。。

元気な人でも風邪を引きそうな気候は

低血圧の僕には拷問のようだ。

そこらへんの修行僧だってこんなに
つらい思いはしていないのではないだろうかと思う。(大げさ)

とはいうものの、少しは元気になったで、
ブログの更新。

ここ最近の毎日、、

起きて、食べて、寝る、起きて、食べて、寝る、起きて、、、

の繰り返しだった。

生産性0の生活だ。
日本国民として、勤労の義務を果たしていない自分に絶望してしまう(大うそ。)


今年も後半戦にはってずいぶん経つ。
もう年末が見え始めているようだ。

今年、来年、再来年、


僕はどこで何をしているんだろう。

まだ、ここにいるだろうか?

夏、本番という感じの日が毎日続く。

晴れた昼間の後で、夜に雷光をみるのが、僕は一番の夏の風物詩だと思う。

体調は、どんよりとしていて、頭痛と頭がぼやっとしているのを
どうにもできないでいる。

日中、意識して、深呼吸をしている。
とても気持ちがいい。
僕はタバコを吸わないが、タバコを吸う人は無意識にこの気持ちよさを味わっているのかもしれない。
確かに、いい気分転換になる。

僕は大抵の場合、相手が僕のことを思うよりも、僕が相手を思う方が大きいと思う。
平たくいえば、好きの度合いが強いのだと思う。
恋愛だと、大抵僕の方が不安になることが多い。
惚れた方の負け、というなら僕はいつも負けている気がする。

ただ、その他の人間関係においては、相手よりも自分の方が好きの大きさが強い方がいいと思う。
いろんなことを許せるからだ。

相手の立場にたって考える余裕ができる。
相手の事が好きなのだから、そういう思考回路は、比較的良く働く。
人間は興味のあるものを、見ていないようで、見ているものなのだろう。

ときどき、もっとかまって欲しい、とか、もっと愛して欲しいというサインを送り続けている人を見る。
そういう人は、大抵、周りにその人のことを愛してくれそうな人のところにいるが、見ていて、少し切ない、むしろ、その人自身が沢山の人を愛せるようになれば、きっともっと幸せになれるのでは、ないか、と思う。

汝の隣人を愛せ、とは良く言ったものだと、僕はこの年にして、その意味がやっとわかった気がする。

情けは人のためならず、に似ているのだと。
体調が悪くなって二度目の夏だ。

屋外の暑さと屋内の寒さが、体に堪える。
昨日から手足が痛い。屋内では靴下と手袋が必要なくらいに痛い。冷房病だろうか。
しかしながら、いままで(昨年まで)の環境から変わっているわけではない。
明らかに僕の体調の問題だろう。以前までは痛さも感じなくなっていたのに、痛さを感じられるようになったのだろう、良くなっている証拠だ(ポジティブ)。

最近、徐々に元気を回復しているので、周りの体調の悪い人の話を少しずつ聞く(というか聞かされる)

まとめると、僕のように体調が悪いのに、同じ場所に居座る人は珍しいらしい、ということ。
たいていの人はいなくなってしまうらしい。僕も、このまま周りの人に迷惑をかけるのなら、生きる道を考え直そうか、と何度も思った。
しかしながら、ほかにやりたいこともない。
幸い、職にも就けた。
今の職に何がなんでもしがみつきたい、という気持ちはないが、もしやめても、僕の生活というか、僕の生きる方向性は変わらないと思う。
僕の生き方を支持してくれ、必要としてくれる人が一人でもいるなら、
僕は続けようと思う。
ただ、そういう人が一人もいなくなったら、すっぱりとやめる覚悟は、もう何年も前からしている。

誰にも必要とされていない世界にしがみついて、周りの人に迷惑をかける人を何人も見て来たからだ。
一方、早々に、誰の迷惑にならずに去っていく人も沢山見て来た。
明らかに、前者より後者の方が強い、と思う。

中高生の部活などで、やめずに続けることを奨励する傾向にあるが、実際の社会では、そうはいかない、ということも教えておくべきだろう。

無意味に続けることが悪いのではない。
やり方があるだろう、ということ。他人に迷惑をかけるやり方で、自分のしたい事のみをするということしか、見えていないことが悪いのではないか、ということだ。
これは、仕事にも恋愛にも、人間関係にも通じるではないだろうか。