久しぶりのゆいゆいゆいです。
なかなかブログを書けず、またひと月空いてしまいました。
前回、移植後の判定前の記録でした。
移植後は何度か黄体ホルモンの採血に行き。
その後、どうなったかというと。
真っ白な検査薬をもう二度と見たくないという思いで、フライングはしませんでした。
で、迎えた判定日。
待つこと2時間以上
着いてからずっと緊張していたけれど、さすがに緊張するのも疲れてきて。
息子を保育園に預けたまま来ていて、保育終了時間の19時半が近づいているのが気になり。
そして、いよいよ呼ばれると、
陽性判定
でしたが、ET14で、HCGは55という、 低い結果。
息子のときは300以上あったので、これは厳しいな、と直感しました。
妊娠したけど、不安しかなく喜べない。
プロゲステロンの注射や、飲み薬の説明などでまた待たされ、クリニックを出て保育園に向かい、ギリギリの19時半にお迎えに行けました
着いたら、子供は息子たった一人で、顔見た瞬間ギャン泣き‥
そこから、息子が寝るまでは怒涛の時間でした
翌週、胎嚢確認という名目の診察でした。
今度は、息子を迎えに行って連れて行きました。
この時も、3時間コース
キッズルームで過ごしますが、息子も飽きてしまい、お互い疲れました。
胎嚢らしきものがありましたが、4.5㎜と小さすぎて、胎嚢かどうかははっきりしませんでした。
唯一救いだったのは、前回妊娠したときにもあった、子宮が大きくなるときの痛みが妊娠判明頃からあったことです。
本来なら黄体ホルモン補充は終了予定でしたが、また注射と、内服追加。
この日は帰宅が20時前
いつもは寝る直前の時間なので、またもや怒涛の夜支度
度々の反省を踏まえて、次の予約からは、仕事を1時間休をもらってクリニックに行くことにしました。
不妊治療をしていることは上司に伝えてあるので、一応妊娠した身体で無理できないのと、さすがに1歳の息子を20時頃まで外に連れ出していたのではお互い体調不良を起こすだけだと
そして、また翌週。
この4日前くらいから、身体が楽になり、子宮の痛みはなくなっていました。
そして受診当日お昼前、おりものか何かが出る感覚。
膣剤のせいだろうと思っていましたが、仕事中のためトイレに行けず、行ったときには生理2日目のような出血。
あー、とうとう、流れてしまった、と直感的に感じました。
その後も、出血は続いていました。
時間休で仕事を早退し、受付で出血したことを伝え、比較的すぐ診察となりました。
胎嚢らしきものは、3.8㎜。
誤差はあるだろうが、大きくなっていない、というのは妊娠継続は難しいだろう、というような説明でした。
先生は、言葉を選んで説明してくれました。
なんとなく分かっていたけれど、悲しくて、涙をこらえていました。
生理、ではないけれど、生理みたいな出血が来ると思うと。
翌週、また受診しました。
胎嚢らしきものはもう見えませんでした。
多分染色体異常であること、このまましばらく出血があると思う、出血が3週間以上続くことやこの後1ヶ月半以上生理が来ないようなら受診をと。
そして、生理が来たら、また今後のことを考えていきましょう、という説明でした。
自宅に帰り、トイレに行くと、今まではなかった、大きな固まりの出血がありました。
胎嚢かな、とうとう、身体からはなれてかしまった。
私の所に来てくれてありがとう、とお礼を伝えました。
出血は量は横ばいで、2週間くらい続きました。
幸い、痛みは軽い生理痛程度でした。
出産予定日は3月23日でした。
2学年差を目指していたのだけどな。。
妊娠して、無事に出産することは、本当に奇跡ですね。
2人目妊活、加齢もあるので、妊娠、出産は前よりも難しくなっているのは承知ですが
初期胚、新鮮胚移植で息子を出産できたことが、未だに奇跡だったんだなとつくづく思います。
お盆もあり、しばらく通院せずに過ごしています。
10月あたりに遅い夏休みを取る予定なので、しばらくゆっくりしようかなと思います。
お盆はカレンダー通り、仕事でした
でも、しばらく妊活から離れており、だいぶ身体も気持ち的にも楽です
仕事、育児、家事、不妊治療の両立は、覚悟していることだったけれど、大変ですね
残るは初期胚4分割グレード2、3日目のたまごひとつのみ
妊娠に至ったたまごと同様のスピード、グレードです。
分割が遅いのが、やはり気になります。
やっぱり、染色体異常や、元気のないたまごなのかな。。
それとも、たまご自体が異なるからそんな心配は少ないのかな。。
今度聞いてみようと思います。
次もし残念な結果になってしまったら、また採卵するかは分かりません。
バタバタしていましたが、息子は無事に2歳になりました
今度は、久しぶりに息子のことも記録したいと思います
長々と、とりとめない文章になってしまいましたが、読んでいただきありがとうございます