11月16日(月)~22日(土)に仲良し仲間とJKM【自己満足】

写真展を開催することになりました。
私は技術力でなく、『城の珍しい石垣』をテーマに5点出展させて
頂いております。

私の仲間は写真技術が素晴らしく、充分楽しめるものと思っております。

場所は銀座3丁目のGallery『龍野屋』で、すぐ近くには”シャネル”
”カルティエ”などウインドショップも楽しめます。



JR『有楽町』駅 中央出口より徒歩5分

東京メトロ『銀座』駅 A-10/B-1より徒歩3分



時間がと興味ある方は、ちょっと覗いてみてください。

下野谷遺跡は旧石器時代の遺跡(約4000年前)
石神井川の南側台地の高台から富士見の池のある
低地へ広がる環濠集落であった。

その集落の規模は4~5百件の住居生活となっていた
『縄文遺跡文化』が多数発見されたため関東地方では
珍しい大規模な遺跡ということから、2,015年の7月に
国の指定遺跡に指定されることとなった。

興味ある肩はインタ-ネットから【下野谷遺跡】にアクセスしてください。

 最近、石垣、城門、などの復元、庭園整備が行われて、
 小幡城址としての景観が整いつつあるので訪問をした。

 
【小幡陣屋訪問】
  2014年11月17日 織田信長の二男、織田信雄の子 

4男信良に与えられた小幡陣屋を訪問した。
  

自宅から 片道110Km、1時間50分と近く 5.000歩

散歩で秋の紅葉と織田家によって造られた【国指定

名勝『楽山園』】と小幡陣屋城下町を散策を満喫した。

 

武蔵児玉党の小幡氏が住み、戦国末期に小幡氏は

 国峯城を拠点として上杉、武田、北条と移り仕えて、

 秀吉の小田原平定時に国峯城は落城、徳川氏に仕え

 て旗本となった。

 

 徳川家康から、1615年(元和元年)小田信長二男、
 小田信雄が大和に3万石と甘楽に2万石が与えら

 れて甘楽の地は信雄の4男信良が継いだ。


 以降7代(120年間続いたが、8代の信邦の時に明和

 事件 (幕府による尊王攘夷論者への弾圧)で謹慎。
 

 9代信浮は国主格剥奪で出羽高畠へ移された。
 代わって、松平氏が入り明治維新を迎えた。

 

 信雄が作ったと伝えられる『楽山園』山々の景色を

 取り込んだ池泉回遊式庭園として見事であり、小規模

 ながら今に残る城下町風情【武家屋敷、町屋】も楽しめ

 るので興味ある方は必見です。


 詳細は下記ホ-ムペ-ジの【群馬県】から

       http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~yuichiro827

facebook

        https://www.facebook.com/yuichiro.tsutsumi.1    

『日本の城郭を奔る』…基本知識
 
登城前に、登城時に
   この知識を仕入れてから…
 城下町といえば近世大名の城下町を連想する人が多いのではないか。
 すなわち藩政時代の城下に形成された武家屋敷や町屋がイメ-ジ的
 にあるからかもしれない。
  ・城下町には旅情とロマンがある。
  ・城下町には生きた人々の歴史と伝承がある。
  ・城下町を旅する人々の利用価値が高められたらと願って編集を
   心掛けた。
■城郭を見る基礎知識■      
 城郭を見るにあたって、事前に構築の違いや、城郭の形式、天守閣
 の構成・形式、曲輪(郭・丸・廓)の役割、櫓、石垣の分類、堀、土塁
 などの種類を事前に学んで観てもらえればれば、楽しさも倍増です。
 
■城の観方・楽しみ方■    
 『城』の観方や、楽しみ方は人それぞれ様々で、自分に合った見方、

楽しみ方で良いと思います。
 日本人は結構『城』好きの方が多いのも事実です。
 何故かと考えると、『城』は現代に生きる身近な歴史の証人だから

でしょうか?
 『城』は古代の城柵から、戦国時代、江戸時代までの城の作り方も、
 果たしてきた役割も違っているからこその魅力かもしれません。

 

『城』の一番の魅力は、城を舞台にした人間模様があって、それが

 現代に重なって見えるからかも知れません。
 特に『城』が盛んに築かれた戦国時代は『城』が主役で、城を攻める

側の攻城戦。
 そして城に籠って守る側の籠城戦があり、戦国武将たちの悲喜こも
 ごが、現代の経済戦争と重なって捉えているのは私だけでしょうか?

   


   


下記アドレスを参照ください。


http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~yuichiro827

 ※より探しやすく、解り易くを目指して、順次リニュ-アルをしていきますので