この時季になると広島市ざわつく。
様々な思いを胸に、たくさんの人が集まる。
悼む人、祈る人、謳う人。
広島平和記念公園の中でいろいろな活動が行われている。
メッセージを集める団体。
インスタレーションを制作している団体。
ミュージシャン、舞踏家、書道家、多種多様なアーティストによる表現。
声を上げ続ける宗教団体らしき人の群れ。
自分の思想や政治的ビジョンを拡声器で訴える人々。
「ここはそんな場所じゃないのに。。。」と、
涙を流しながら静かに悼むことを願う人。
平和公園を見て思う。
悼む人、祈る人、謳う人。
この場に理由を求め、自分の思いを果たそうとする多くの人々。
平和をめざすということは、
このすべての人たちとの友愛を願うべきなのだ。
祈る方法が違っても、
謳われる思想が、自分と異なっていても。
多様な価値観を、
敬意をもって認め合うということはとても難しい。
ただ、それでも信じたい。
あなたのその行動も、
あなたのその言葉も、
みんなの幸せを願ったものだと。
悼み、誠実に向き合った上でのものだと。
僕は、
せめて広島の8月6日は、
悼む人、祈る人のものであってほしいと思う。
この夏は、
被爆し戦後を生き抜いた祖母の初盆。