「おばぁちゃんはね、涙が止まらんのんよ」
2週間前くらいに会いに行った時に、ばぁちゃんが言った。
広島で育った人なら、7月下旬ともなればピンとくる。
夏になると、いろいろなところで「原爆」の文字が出る。
8月6日を過ぎた今日、8月7日も、
「毎日ね、涙が止まらんのんよ」
と行っていた。
「語り部さんが話をしてくれるみたいじゃね。おばぁちゃんはよぉ~人には話せんよ」
と、多くを語らないばぁちゃんは、
断片的にだけど、時々話をしてくれることがある。
僕は幼い頃からそういういろいろな話を聞いて育った。
ばぁちゃんは、16歳で被曝した。
曾祖母(ばぁちゃんの母)は、着物の帯の内側の生地がたまたま少し残っていたことで、見つけられたそうだ。
外見では誰だかわからなかったと。
そして、亡くなった曾祖母をばぁちゃんが自分で焼いたそうだ。
人は水分が多くて焼けにくく、特に腹部は大変だったと。
あまり詳しくはwebでは書けないけど、
リアリティのない現実を、具体的に話してくれた。
「涙ももう枯れた。それでも生きたんよ。」
そう話しながらも、ばぁちゃんの涙は止まらない。
被曝した人は『被爆者健康手帳』を交付され、
その後いろいろな医療福祉を受けることができる。
写真が現物ね。
意外と広島の人でも、若い人は見たことがない人も多いかも。
当時は2人以上の証人がいれば、交付されたと聞いた。
なかにはそれ目当てにズルをする人もいたとか。
広島においては、原爆について全員被害者という構図で語りやすい。
だから、共通認識も持ちやすいのだと思う。
それを硬直化・閉塞感と捉えるか、
歴史的風土の役割に誠実だと捉えるかは、価値観次第だと思う。
僕はね、
力をちらつかせて、人を抑えこもうとするやつは好きじゃない。
人の痛みを分かろうとしないやつは好きじゃない。
今を大切に生きるということは、
過去から学び、
未来を描くということなのだろう。
必要なのは想像力とユーモア。
日付が変わって、
今日は8月8日。
曾祖母の命日。
そして、僕の誕生日。