
いろんな感覚が合う三鷹に住んでいる幼なじみが、これ面白かった、と言って貸してくれた吉本ばなな本。
私のまわりでこんなにもばなな読んでる人間は彼女くらいだから、ばなな友達とも言える。
表紙を見て、なんだか違和感。13年振りの吉本漢字表記らしい。
意味はよくわからないけど。
自分の中では長年信頼安定のばななだから、よしもとだろうが吉本だろうがいつも安定の感動を与えてくれるだろう、と冒頭から読む。
《私が大人になった瞬間を、私ははっきりと覚えています。それは情けないことに相当遅く、中学生の時でした》
。。。。
中学生で大人って、それむしろ早くない??
違和感に手を止めながらも読み進めていくと、そこには著者が体験したリアルで温かい大人体験が描かれていました。(興味があれば是非実際に読んでみていただきたいです)
まあ内容はそこから始まり、友達のことや人の生き死について、年をとることについて、etc
どんな平凡な人間の一生でも必ずついてまわる様々なことが、とても腑に落ちるわかりやすくも繊細な心のヒダに響く言葉で書かれていて、新幹線の中で一気に読み終わったのですが、私は冒頭の言葉がずっと引っかかっていました。
自分はいつ大人になったんだろう、、果たしてなれているのだろうか、、
それは遅すぎると表現されていた中学生では毛頭なく、ましてや20歳でもない、30歳でも32歳でも、自分はまだ大人になれていなかったと思います。
文中に、《経済的な自立が必ずしも自立ではないと思う》とも書かれていて正に言い得て妙だとも思います。正にそうだよなあと。
本題に戻り、私はいつ大人になったのか?果たしてなれたのか?という自分なりの判断と、ばなな本に書かれていた条件からしぼりだしてみたら(そもそも正解のない問題)
それは、非常に恥ずかしいことに、最近、いや、、先月だと思いました。
・周りの人のことをきちんと客観視して心か
ら感謝できる(内側から湧き出るように)
・自分個人の問題や悩みをいちいち親兄弟に話さず出来るだけ自分で解決する←これ一番出来てなかった
・人に依存せず自分を楽しむ
もしかしたらもっとあるのかもしれないけど
とりあえず、これらのことだけでも、今この瞬間(2016年12月4日21時半現在)なんと、生まれて初めてバランスを保っているように感じています。
なんという未熟児感覚、、、
というのも、先月は大切な人の死、そして妹が出産して初めての甥が産まれたり(あとは階段から落ちたり)周囲の変化が激しい中、自分自身の落ちつかないプライベートから、ここ最近では一番どん底まで落ち込んでしまいました。
そこへ、ある日、生まれたばかりのかよわい甥が母の家で妹や皆に守られてすやすや寝息をたてているのを見た私は、急に悟ったのです。
自分もあんな風にかよわい時期に皆から守られていたからここにいるんだと。
あー、自分はこれから、きっと何が起きても全然大丈夫だなと。これからもっとすごいことが起こるかもしれないけど。
なんか急に。
それは今まで感じたことのない感謝と幸せな感覚。
と同時に、気が付いたら、今まで自分が依存していたものに対しても感情の変化が。
保身ではなく人に心から感謝できれば、例え思った結果にならなくても自分の中身は死なない。それはとてつもなく幸せな生き方なんだと。
だから大人は暗闇もこわくないのか。
文中にもこうありました。
《心のエネルギーは与えることでもチャージできる》と。
正にそういうことだと思いました。
この感覚。何とも自分の中心が温かくなる感覚。相手やまわりがどうだろうが、自分の中の好きだな嬉しいな、ありがとう、がブレなければ、揺るぎない幸せが続く感覚。
なんでもっと早くにこうならなかったのか。それこそが修行であり生まれた意味なのだろうか。
というわけで、37歳冬、オトナの一歩踏み出しました。
たぶん。