3月11日(金) 14時46分。
私は、
逗子の海沿いの結婚式場にいました。
福島の保健師学校からの友人の結婚式。
福島からも沢山の参列者がいました。
新郎はハイパーレスキュー隊の方。
主賓の祝辞を読んでいる最中に地震がおき、
その後救済のため新郎側の参列者は被災地へ。
交通機関もストップし、
大津波警報も発令された場所にいた私たちは、
高台にバスで非難。
ラジオから、
信じられない津波被害の状況が流れる。
夜も停電が続き、
情報がなにもないまま寒い夜を過ごした。
旦那は帰宅難民。
初めての体験であり、
家にも帰れず、
結婚式でも食事が出る前の地震被害であり多くの人が空腹。
妊婦の友人もおり、
皆がパニックでした。
そんな経験から早2ヶ月。
私が体験したあの日の避難の出来事なんか比べ物にならないくらいの被害が生じた、
東日本大震災。
福島で18年間育った私は、
今、関東にいて離れて暮らしているが、
毎日、地震、原発被害の状況、現実をつきつけられ、
悲しみを隠せません。
原発被害、こんなになるとは。
警戒区域の一時帰宅の様子をテレビでみた。
彼らが避難している場所のビックパレットという施設は、
私の地元の市。
あの場所は私たち市民が成人式をした場所。
あの場所が今避難場所だなんて。
彼らが避難しているあの場所は原発から40~50km圏内。
避難していても、
風向きによりとても放射能の量は多いらしい。
子どもたちは外で遊べず、洗濯物や布団を干す家庭はみられない。
外で遊べる時間は一時間以内だそうだ。
そんな話ある?
福島はとても出生率が高い地域です。
とても自然豊かで、
子どもを育てやすい環境でした。
今後、4~5年。早くて健康被害はでてくるかもしれない。
今小さな子達は、
原発被害が明るみになるかもしれない20年後には
20代前半だったりと一番いい時期じゃない?
そんな子どもの未来は、
どうなるのでしょうか。
食べ物だって、
地産地消で、
福島で育てた食べ物を沢山食べて育ってきた。
農家の人たちの生活はどうなる?
福島で作ったものは、
だれにも食べてもらえなくなるの?
色んな思いが駆け巡り、
ただただ苦しいです。
東日本大震災で被害にあわれた皆様、
ご冥福と今後の明るい未来への復興を
心から願います。