Yuriのブログ

Yuriのブログ

日本では看護師をしていましたが、仕事についていけず退職することに。現在はカナダに滞在し、もう一度看護師にトライするべく勉強中です。

ネガティブな感情が浮かんできてどうしようもないことがある。
普段は心の奥にしまって、考えないようにしていることが沸々と溢れ出す。

職場で全然仕事ができない自分。
なんで私はこんなに物覚えが悪いのだろう。

学校でいい成績が取れない自分。
なんで私はこんなに頭が悪いのだろう。

友達ができない自分。
なんで私はこんなに人と話すのが苦手なのだろう。

あげればきりがない自分のいたらなさ。
そうして最終的には、もう疲れた、なんで生きているの?となる。

でもこういう悩みを書き出すと気付くことがある。

これって全て、他人ありきの悩みだなと。

悩みを産み出しているのは、
私は、「周りに比べて」仕事ができない、勉強ができない、友達がいない、という思考だ。

もし自分が1人で働いていたなら、
仕事は引き続きポンコツかもしれないものの、
「あの人はできているのに、なんで自分は」とか考えなくて済む。

そんな思考に邪魔されないからこそ、
「できなかったから、次はこうしてみよう」とか、
「自分のできる範囲で成長していけばいい」とか、
いたって健康的な思考に自然となるのだ。

これは思考の問題だから、
他人と仕事をしながらでも、できるはずだけど、
他人と一緒にいて比べないとか、どうやったらできるのか教えてほしい。
「比べない、比べない」って呪文のように唱えても、全く効果がないんですけど泣き笑い

もうできないことは、できない。

自分を信用してはいけない。
今までできなかったんだから、
次こそはできるかもって、
自分の意志力に期待するのは、もうやめよう。


環境整備が9割!
他人と比べないためのシステムを自分が作るしかない!


と、

威勢よく考えただけでは何も解決しないし、
すぐにそういう働き方が自分にできるわけでもない。

私にそんな仕事ができるのかとか、
来週に差し迫った課題のこととか、
考えていても不安はなくならない。
むしろ強化されるだけだ。


勉強する、料理をする、外出する、アニメを見る。
なんでもいい。

何かしている間だけは不安が消える。
集中している間だけは、不安から解放される。



動いて未来のことを考えないことは、逃げじゃない。
むしろ今を生きているということだと思う。


今この時を大切に、皆さんもご自愛ください。

私は今まで、

中南米やインドの留学生に囲まれて、
授業を受けてきたのだが、

彼らはいろんな意味で、

本当に人の話を聞かない。

いやリスニング力とか、私より何万倍も高いのに。
能力ではなく、聞こうという姿勢の問題だ。

例えば、授業中の課題ひとつとっても、
授業中に説明されているのにも関わらず、
全然違う内容のものを提出したりする。

あるいは課題提出の間際になって、
先生にもう一度、課題の説明を求めたりする。

私はそんな彼らに対し、
いつもそうなるんだから、聞いたときにメモとかとれよ、
と少し呆れてしまう。

でも先生の反応は違う。

彼らがズレた内容のプレゼンをしても、
同じことを聞き返してきても、
全く怒らないし、嫌なそぶりすら見せない。

プレゼンはできている部分を褒めようとするし、
もう一度聞かれたなら、喜んでその説明をする。

私は常に、いやだから彼らは学ばないんだよと思っていた。

日本なら、ポイントのずれたプレゼンには突っ込みが入るし、
同じ質問をしたら、「前言ったよね?」と注意される。

そういう訓練を受けてき私たちは、
何でも人の言葉を真摯に受け止め、
反省し、改善しようと努力する国民になった。

私はそれが素晴らしいことだと思って疑わなかった。

でもそうやって何でも真摯に受け止めてしまうことが、
「こうあるべき」という期待を増長させ、
それに応えられない自分を責め、
精神的に追い詰め、心の病を発症させる。

自分への期待値の高さは、
相手へ要求する期待値とも相関して、
ミスが許されないような、
お互いがしんどい環境を作り出していく。

カナダでは、お互いが甘え合っている(笑)
あなたのミスも許すから、私のミスも許してねという具合に。
お互いが、完ぺきではない自分たちを認め、支え合っている。
それは先生ー生徒の関係においても同じなのだ。


できなかったら、できなかったでいいや。
分からなかったら、聞けばいいや。
今日できなかったら、明日すればいいや。



そうやって自分に寛容になることが、
相手への寛容さに繋がり、
もっと自分が楽に生きられるし、
もう自分がイライラすることもない。

人生も、仕事も、人間関係も、
もっと、もっと適当でいい。

皆さんも肩の力を抜いて、ご自愛ください。

私は誕生日やクリスマスなど、
プレゼントが絡んでくるイベントが苦痛です。

そんなことを言うと、
プレゼントを選ぶ時間、
何にしようかと悩む時間、
その時間こそが大事なのよと諭されるでしょう。

私も大事な人からのプレゼントは嬉しいし、
親や兄弟夫婦が、今もずっとプレゼントを贈り合っているのを見ていますので、
自分もプレゼントありきで過ごしてまいりました。


が、正直やめたい。


プレゼントは嬉しいですけど、
問題なのはそのプレゼントの行方です。
もらったプレゼント、
私はほとんど使った記憶がありません。

カナダは返品カードを、
プレゼントと一緒につけておくる慣習があって、
なんて親切なんだと驚きましたがびっくり

プレゼントを渡す側は、
渡せばそれで満足という人もいるでしょうが、
期待値に差はあれど、できれば使って欲しいと思いますよね。

そうなると、
やはり頂いたものを捨てたり、売ったり、
返品したりすることには、心苦しさを感じてしまいます。

かといって、
何か欲しいものある?と聞かれても....


別に欲しいものなんかないんです泣き笑い


自分が欲しいものは、自分でその都度買うし、
特に私は、物が増えることに異常なストレスを感じる方なので、
必要なもの以外はあまり部屋に置きたくないのです。


前回の私の誕生日には、
欲しいものがないので、
モールに出向いて、欲しいものを探そうとなったのですが、

ほんとになくて…

歩き回って疲れた挙句、
何か買ってもらわないと終わらないと思って、
バドミントンのラケットを買ってもらったんです。

でもこれは失敗でした不安

というのも全然使わなくて、
一緒に住んでいると、
使っていないのがバレて気まずい!

もうラケットが目に入るたびに、
ラケットからの無言のプレッシャー不安

彼にも1度、冗談っぽくですが、
全然使ってないよね指差しってプレッシャーかけられて(笑)
(いや、夏になったら使うんよ!たぶん…)


プレゼントを渡す側になっても、これまた難問でして。

『逃げ恥』で平匡さんがプレゼントを探し回った挙句、
みくりにお金をあげた気持ち、分かるわ~。

彼に何が欲しいか聞いても、
「別に欲しいものはない、何もいらない」と言われるし、
私には彼の日常を観察して、
必要なものを察知するような、気の利いたことができない…。

こうして、
少なくとも誕生日とクリスマス、
年計4回もこの難問に挑むわけですが、

カレンダーを見るたびに、憂鬱になり、

結局年がら年中そのことについて考えている状態に(ただの考え過ぎネガティブ

 

私はついに、意を決して言いました。


「プレゼント交換は今後一切やめましょう」と。


彼の反応は…

 

「別にどっちでもいいよ~」でした(ふーニコニコ
 

 

どちらかが記念日を大事にしていて、
それをすることで、相手がとても喜ぶとかなら話は別ですが、
双方ともにプレゼントへのスタンスが同じなら、
プレゼント廃止の方向で問題ないということになりました。

この決断が今後の愛情や恋人関係に、
何らかの影を落とすことになるのか、
今の私には分かりませんが、
やっとプレゼントのプレッシャーから解放され、
心が軽くなった今日この頃でした。

皆さんもどうか無理なさらず、ご自愛ください。

カナダに来て驚いたことの1つに、

日本人の友人が、
全員彼氏持ちというのがあります。

私の知る限り、余すことなく全員です。

私が大学生だった20年前は、
彼氏がいるのはクラスの50%ぐらいだったかな?
30代で看護師になって、
20代の同期に聞いたときは20%とかでした。

最近の若者は恋愛しなくなっているとか、
言われることもあるようですが、
ほんとなんだと思った記憶があります。

でも恋愛したい気持ちがないわけじゃないと思います。
もしラピュタのシータのように、
理想の彼氏が空から降りてくるのなら、
喜んで受け取るのではないでしょうか。

でも実際には、

特に非モテの私には、
恋愛市場に分け入って戦うような、

スペックも、度胸も、心意気も、心の余裕も、強さもなくて、
そんなことして傷つくくらいなら、
毎日の仕事でヘトヘトだし、
家でゴロゴロしている方が、

何万倍もましに思えました。

それにアニメとか漫画とか読書とか、
恋愛しなくても面白いことがたくさんあって、
もし彼氏とかできたら、
料理とか家事とか毎日するのしんどいなとか、
この楽しい1人の時間が奪われるのは嫌だなとか、
彼氏ができてもないのに、
いらぬ心配をしていました(笑)

でもそんな気持ちに共感してくれる人は多かったです。

彼氏はいたらいいけど、
そのために努力するぐらいなら、
今のままでも十分楽しいよね、
みたいな感覚を。


でもそれは、ここカナダでは異なります。


なぜこうも簡単に彼氏ができるのか、
それには3つの理由があります。

1つ目は、

カナダと日本の環境の違いです。

カナダにはきれいな自然はありますが、
日本と比べると圧倒的に娯楽は少ないと思います。
だからみんな休日は、友達や恋人と、
ハイキングとか、ピクニックに出かけるんです。

それに、

彼らは日本人ほど生真面目には働きません。
働いているけど、終始リラックスしていて、
基本的に定時で帰ります。

残業がないから、
時間と心に余裕ができて、
週末何しようとか、

考えることができるのです。

そういう娯楽の少なさと、心の余裕が、
まず彼氏を見つけようというモチベーションを産みます。


2つ目の理由は、
相手がものすごく積極的なことです。

こっちでの出会いは、
ほとんどの人がマッチングアプリですが、
自分から特にアクションを起こさなくても、
相手からメールがどんどん来ます。


私みたいにLookがイマイチでも、
アラフォーでも関係ありません。
もちろん若くて、美人なら尚のことと思いますが。

まさか自分が選ぶ側になろうとは、
一度もモテたことのない私には、
信じられないことです。


最後の理由は、
国際恋愛をして感じたことなのですが、
相手に対して寛容になれることです。

もし日本人同士なら、
同じ価値観を共有している分、
なんでこんなことするの?とか、
なんでそんなことも分からないの?とか、
期待値がどうしても高くなってしまうことがあるかもしれません。
(もちろん、お互いが共通の価値観を共有しているからこその安心感や楽さはありますが。)

でも相手が異国の人なら、
育ってきた環境が違うから仕方ないよね...と許せてしまう。
自分のストライクゾーンが広がる感じでしょうか。
そしてゾーンが広がった分だけ、
恋人として好きになる可能性も高まるわけです。


以上が私が考える、
なぜすぐ彼氏ができるのかの理由です。


もし日本人があなたの魅力に気付けないなら、
海外に目を向けてみてはいかがでしょうかラブ

PMS(月経前症候群)は、

生理3~10日前から始まる心身の不調です。


私は特に精神症状が強く、

PMDD(月経前不快気分障害)でもあります。

 

とにかく情緒が不安定なため、
理由もなく悲しくなって涙が出て、

彼と一緒に住み始めたときとは、

What's happening?

とめちゃくちゃ驚かれました。

 

いつもは気にならない彼の鼻歌に無性にイライラしたり、

→周りにいる人は理由もなく被害者になりがち(謝)

 

頭が常にぼや~っとして、集中できなかったり、

というか、だるさや眠気でまず起き上がれないことも。


私はこういった症状が、

高校生になった頃に悪化しました。

 

そのころ不登校になったのは、

PMSも大きな原因の1つだったと思います。

 

PMDDは、月経がはじまる約2週間~10日前の排卵あたりから、心の状態が急に悪化します。

つまり月の半分しんどい状態が続くのです。

長すぎやしませんか?

年計算で、6か月うつ状態ということですよ泣き笑い

 

生理が終わるとスッキリし、

嘘のように集中できて、

物事がいい感じに進むのですが、

また2週間もするとしんどい時期がやってきて、

計画は全て頓挫。

遅れていく計画を見ては落ち込む。

そんなことの繰り返し…。

 

そんなサイクルを繰り返すうちに、

生理が終わっても、

落ち込みが続くようになり、

本格的なうつ病になっていったというわけです。

 

私の場合2週間ごとのUP-Downが激しかったので、

躁うつ病と診断されて薬を飲んだり、

うつ病の薬も飲んできました。

 

 

そんな長年PMSと生きてきた私が

たどり着いた結論は、

PMSをどうこうしようとか考えないことです。

何をしようがあやつは周期的にやってくるのです。

無駄なあがきはせず、

きたきた…

と受け止めて、

もう私は何もしません。

とにかく寝る、

美味しいものを食べる、

外を歩く元気があったらちょっと散歩。

 

計画とか、どうせできないから、はなから立てない。

 

学校も仕事も、起き上がれないほど辛い日は、
薬を飲んでまで無理して行ったりしません。

そして間違っても、


なんで私はこんなにダメ人間なんだとか言って、

自分を責めたりしません。

 

この苦しみと折り合いをつけるのには、

本当に長い時間がかかりました。

私はずっとこの鬱が、

自分の弱さから生まれてくるものだと思っていたので。

でも今は、

この鬱は、天気みたいに、

どこからともなくやってくるイメージを持っています。

抗えないものには、抗わない。

 

皆さんも、ご自愛ください。