はろー。

浜岡原発の恐怖にもめげずのんきに更新します。


こんなに真剣に日本の未来とか世界の未来とか、
人間の生死について考える機会もそうそうなさそうなので。










昨日のヤツのつぶやきから、ちょっと生と死について考えちゃった訳で。



で、朝起きたらなんとなく、
もういろいろ諦めようって思えてきた。



原発について知ろうとすることも、
どうすればいいのか考えることも、
好きな人の身を案じることも。


全部、一方通行だもん。

全部、あたしがしたって状況が改善するようなことじゃない。


知りたくても、情報が錯綜する中で何が正しいのか分からない。

どうすればいいかの答えは募金、節電、献血、緊急時の備え。
それ以上はない。
あ、とりあえずは中電に電話してみたけど。笑
(今は検討中でお答えできませんとのこと。隠蔽体質乙!)

いくら案じても、相手が求めていなかったら意味ないし、最後は相手が決めること。


確実なのは、
今あたしが焦ったり、
泣いたり、
落ちたりして、
なにかが良くなる可能性はゼロだってこと。

(というか心配しすぎると逆に心配されるw)


何にも変わらない。

変えようとしても変わらないものを、
変えようとし続けるのは、
精神力の無駄遣い。

苦しいだけしんどいだけ。


あたしは地位もないし、
力もないし、
お金もないし、
世の中知らないし。


今の日本にとっては無意味な存在。


だから、結論。


考えない。
望まない。

諦める。


でも、

信じる。

自分を、大切な人たちを、未来があるということを。


「人生諦めが肝心」っていうしね。


よく言う、「諦めたら試合終了」の安西論も好きだけど、
今の試合は負けても全然いいから早く終わってほしい。笑


自分にとって、ゆずれないものは残します。
自分の命より愛おしいものは、終わらせない。


平穏が戻るのを信じて、その時のための備えを進める。


できることをし続けるのだ。




・・・。

同じことを前の日記でも書いたのに、また同じ結論かよ。


状況として前と決定的に違うのは、
大切な人たちだって無事の保証はない、
ということをリアルに感じたこと。



片想いは切ないって痛感したこと。



精神安定のために一旦休戦。



ちなみに適当にググって見つけた諦め系の故事。笑

「四諦」「諦めはこころの養生」「万事休す」「年貢の納め時」

こういう精神もってないとやってられないw