あーーーブログのテーマ整理したい。。



【シューカツの罪】



「誰にも負けないもの」



ってみんなありますか?

就活とかで嫌というほど考えさせられる、自分の「強み」。


みんな何て答えてるんだろう。


「強み」だけならまぁ答えられる、のかな。

あたしは、考えて動く力、なんて答えてました。

「考動力」、なんつって。
今考えると顔から火が出て穴があったら入りたくて
そっっっっと目を逸らしたくなるくらい、
しょうもなくて恥ずかしいんだけども。

(まぁ過去の自分は別人だから…い、いいの!////)





私は誰にも負けないものなんて、持ってません。


てゆーかみんなそうやろ。


そのくらい20年も生きてたらみんな分かる。

上には上が、下には下がある。

たとえ何かで一番を取ってたとしても、
誰がどういう指標で評価するのかで結果が覆ることもある。
いくらいいプレイしても、審判が黄色って言ったら黄色になるし、赤って言ったら赤になる。

でもそこで相手に合わせて「うまい」答えを出せる人が評価される。
=「うまい答えをだせる人材」を欲しがる会社が多い。
(もちろんそれだけネタになるようなことをしてきたことは評価されて当然だし、
その人もその経験も否定する気はありません)


就活の時にあたしがものすごく違和感を感じたのは、
多くの学生・マスコミがセミナーやニュースを通して
まるでそれが「解答」かのように扱うことでした。


いつの風物詩かも分かんないけど、合説に群がる学生を
「(就活の季節ですね!的なドヤ顔で)いやー厳しい中ですが頑張ってほしいですねー」
とありきたりなコメントつけて報道したり、

「エントリーは100社!」
「ESではこうアピール!」
「模擬面接しますよー!!」
って食い付きの良さそうなワードで学生を誘い込んで、
さも「これが就活の王道だ!」と言わんばかりに(ってかもう言ってるか)焚き付けて
余計な強迫観念を与えたり。

先輩に相談しても
「みんなだいたい~月頃から動いてた」
「説明会は数で勝負」
「自己分析はこの本がいい」
みたいなことしか言わない人も多い。


そんなマニュアル化された流れの中で自分探しをしても、
枠内の答えしか出てこない。

誰にも負けないものとかあるわけないのに作ったりして。

結局、自分の人生なのに基準を外に求めてるんだよね、と思うのです。


まぁそれに気づきながらもそれを飲み込んで適応していくことを
「大人になる」なんて言ったりもするんですが。




【誰にも負けない≒ゆずれないもの】



マニュアルに沿ってみんなと同じくらいのペースで進みながら
「強み」ってやつを自分なりに一生懸命ひねり出して
プレゼンテーションを工夫して、ついに内定をゲッツ。

あーーー学生時代頑張ったこと、間違いなく就活だわー。
なんつって笑ってみる。



でも、

案外簡単に社会は裏切ってくる。

いざ入社したら何も生かせない、成長の実感もない、
モチベーションもだんだん下がる、維持するシステムもない。

こんなことだらけでしょ、と思います。

無力感と会社への軽い失望と労働に対する価値観の見直し。

経験する人多いんじゃないでしょうか。



じゃあ自分が本当にできることって?
持ってるものって?



考えてはみるけど、仕事忙しいし休みは遊びで忙しいし
答えだしたところで転職するのも面倒だし。

まぁ給料もちゃんと出てるし、社宅もあるし。

なんて言ってるうちに家庭を持って、だんだん荷物が増えて
「大切にしたいもの?家族だよ」
「やりたいこと?もうそんな若くないからなぁー」
とか言う歳になってるんだよいつの間にか。


って感じが関の山かな、とか思ったりします。
そうですか?ちがいますか?
こればかりはマジで想像(妄想)でしかないです。笑





でも、あたしはからだがおかしくなったおかげで考える時間を得ました。



ゆっくりゆっくり考えて、やっと自分の答えに行き着きました。



ゆずれないもの。



いくら忙しくても苦しくてもしんどくても面倒でも、守りたいもの。



自分のあたまで考えること。



これっすわ。



もうね、何が大切かとか何はしてはいけないとか
こういうときはこれが正解、とか。

人が決めたルールにいちいち自分を納得させるのめんどくさい。



理念とか方法とか判断基準とか。

そういうのを教えてもらうフェーズはあたしの中で終わったんだと思います。


自分で考えて、動く。

自分を等身大で評価する。
自分の判断軸を持つ。

許せること許せないこと、できることできないこと、合う人合わない人、
楽しいことつまらないこと、関心無関心…


あたしの知ってる「自分」に素直に従う。
「これがyuinyamです!」と言える人であり続ける。



相対評価より、絶対評価。



他者の基準のなかで、自分の意見関係なく評価されるのって、
あたしには不向きみたいです。


ね。



…よく日本で生きてこれたな…。


他者の基準の中にいると自分でも気づかないうちに自分を偽っていってしまう。
自分に嘘ついたり、妥協したり。

それはどうやら耐えられないらしい。



【生きる場所】


でもそんなこと言ってたら人の下で働くとか無理なんじゃね?って思わなくも、ない。


純粋な思いだけで生きていける世の中でもない。
そのくらい分かってる。


あたしが生きる仕事。

多少うまくいかなくてもしんどくても「このやろー!」って思うような人がいても
なんとかやれること。というか、「でもやりたい」と思える仕事。


「何をするかより、誰とするか」だと思ってたし、
パートナーが重要なのは確か。

でもそれ以上に、あたしにとっては
「何をするか」=「どう社会に貢献するか」
が大事だと思うようになりました。


お金になるとかならないとか。
注目されるとか地味だとか。
イメージがいいとか悪いとか。
楽だとか問題だらけだとか。
能力が身に付くとか将来性とかうんたらかんたら。


どーでもいい。


甘いとは自分でも思っているけど、本当にそう思えているんだから
今はそれでいいんじゃないかと思っています。



泣いてもわめいても今あたしが置かれている環境は変えられない。
よくも悪くもね。

自分の置かれた環境を、恵まれていると思うか不満を抱くか。

それを判断するのが自分であるならば、
あたしはもちろん恵まれていると思います。

本当に。


だから、できることはやらなあかんとおもうのです。
自分のことだけ考えるところからは卒業しました。
今の自分に満足したら、自分の外の問題が見えてきました。


あたしの立ち位置からできることはおそらくたくさんあるでしょう。



今、こうして誰かの目に留まることを願って文章を書くことも
その中の一つだと思っています。


無理せず「書きたい!」と思ったときに書けることを書く。

至らないことは百も承知でそのまんまの自分を公開して、
きっと数人がちゃんと読んでくれるとして(笑)、
その中の誰か一人でも何かしらプラスの感想を持ってもらえたら、
それってすごいことだと思うのです。
ツイッターもそう。
考えたことを忘れないようにメモして、それが誰かの目に届いて
何かしら感想を持ってもらえたら、そんなけ素敵な使い方ないでしょ。

今は、個がマスにアプローチする手段が身近にある。
それを生かすのが今のわたしにできることです。








あたしのゆずれないもの。


自分で考えて、動く。

「自分」にプラスになることを求めて人に会う、知識をつける、考えを煮詰める。

そうして変化しながら「自分」を社会に還元する。


うん。


これをずっと言い続けていきます。



これで一年後何もしてなかったらyuinyamシバく!!!!!
本気で自分に絶望できる気がするww




まー某先輩にのせられてエッセイストとか目指しちゃってたら笑うしかないけどwww
てかなんでいつもこんなに長いんだ!くそぅ!


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

余談。
私自身全然社会を知りません。
8ヶ月しか働いてないし、自分の会社以外は経験としては知りません。
なので的外れなことを言ってるかもしれないし、甘い部分もあると思います。
就活への偏見もあります。
でも、そういった思いは不満でも怒りでも苦情でもなくて、
今の素直な社会に対する感想だと思って読んでほしいです。