こんにちは!

ライフコーチのゆいです。

 

今日もこちらのブログに来て頂いて

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

自分軸、他人軸について

考えている本日でございます。

 

 

自分軸、他人軸って、

親離れしているかどうか、とも

言い換えられるのかもしれませんね。

 

 

他人軸の「他人」とは、

実は「親」なのではないか?

という話であります。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は小学校、中学校、高校と、

憧れた職業がありました。

 

 

それを、全て母に伝えました。

「私、大人になったら〇〇になりたいなー」

みたいな感じで。

 

 

すると母からは、

こんな回答が返ってきました。

 

「そうなんだー。

すごい職業で感謝もされるかもしれないけど

恨まれちゃう可能性もあるよね」

 

 

「そうなんだー。

でもあの職業って、

すっごく体力使うんだよ。

ゆいは体力があんまりないからね。

難しいかもね。」

 

 

「そうなんだー。

でもその職業ってね、

見た目はカッコいいけど

世間的にはあんまりいい印象を

持たれないんだよ。

やっぱり、事務職が一番いいと思う。」

 


頭ごなしの否定はされないけれど、

やんわり否定されて、

事務職を推される感じ。


 

今思えば、

ザ⭐︎他人軸!な価値観だったのだな、

と思いますが、当時の私は、

「あぁ、そうなんだー」

と、それが「事実」なのだと思って

ある意味素直に(?)無防備に(?)

受け取りました。

 

 

結果として、

母からは「事務職にしなさい」と

言われてはいないものの、

私は事務職を選んだのでありました。





 

 

 

 

そして、

それから10年以上経っても

その母の言葉、価値観を

ずーっと大事に握りしめてきました。

自分の中でその価値観を

強めてきたとも思います。

様々な出来事にこの価値観を当てはめて。

 


だから、正直、

事務職以外の仕事をすることが

とっても不安だったのです。

 

 

自分が間違ったことをするような不安。

社会から白い目で見られるような不安。

社会からの信用を失ってしまうような不安。

 

 

でも、これは事実ではなく、

母の不安であり、価値観だったのだと

段々と理解していきました。



薄々は気付いていたし、

気付いている"つもり"でしたけど、

ようやく腑に落ちたと言いますか。

 

 

この母から借りていた不安や価値観を

そっとお返ししようと思いました。

借りた消しゴムのように。


「これ、お母さんのだったね。

「ありがとう。お返しするね。」


って。

 

 

 



 

 

母の言葉は、

いわゆる他人軸な価値観です。

 

 

人からどう見られるか、

世間からどう見られるか、

という基準。

 

 

でもそんな他人軸な母の言葉を

責めるつもりは毛頭ございません。



ご近所付き合いや、親戚付き合いが

今よりも強かった時代、環境なら、

そうなっても無理ないだろうし、

母の母である祖母もまた、

世間体を気にするお人です。



そうであるには、

そうである理由があります。





 

 


 

そして何より、その母の言葉は、

私や夢を否定しようとしたのではなく、

私を大切に思うからこその

言葉だったはずです。


 

境界線を引けていないだとか、

コントロールしようとしているだとか、

過干渉とか、自己満足とか、

コーチングや心理学的に言えば

好ましい発言ではなかったかも

しれないけど、


 

大切な我が子に

幸せなってほしいと思うが故に、

自分が持っている最大限の知識で

子どもを守ろうとする気持ちだったのでは、

と想像します。

なんせ、私自身が

子どもにそう感じる時があるから。

 

 

そして、

母の言葉を受け取った私自身も

大好きで大切な母の言葉だからこそ

素直に受け取り、

それをずっと大切に抱えてきました。

 

 

私も母も、

その時のベストな選択をしたのです。


 

 

 




そして、

そうだっのだと気付いた今、

その言葉を握りしめ続けるのか

「大切に想ってくれてありがとう」

と手放すのかは、私次第です。

 

 

母はとっても大切な存在です。

だって、私をこの世に生み、

育ててくれた人です。

 

 

でも、

私と母は別の人間です。

母は母の人生を、

私は私の人生を生きています。

 

 

だから、

そろそろ私は私の人生を、

自分の言葉で、自分の価値観で

創っていかなくてはなりません。

いえ、創っていきたいし、

創っていきます。

 

 

この気持ちが、親離れであり、

自分軸の始まりなのだろうと思う3月、

卒業の季節です。