こんにちは!

ライフコーチのゆいです。

 

今日もこちらのブログに来て頂いて

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

「あの人はもっと優しい人だと思っていた」

「あの人はもっといい人だと思っていた」

「あの人はもっとできる人だと思っていた」

 

 

という相手への期待、そして失望。

はたまた、

 

 

「自分はもっと優しい人だと思っていた」

「自分はもっといい人だと思っていた」

「自分はもうちょっとできると人だと思っていた」

 

 

という自分への期待。

 

 

そして、

期待通りにはいかない現実を見て

失望する。

 

 

そんなことってありませんでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

失望できたら、

まだ良い方かもしれません。

 

 

期待が強すぎて、

でもそれが、

一方的な期待だとは気付かなくて

「そんなはずはない!」と

その現実を受け入れられず、

期待通りを要求し続ける。

 

 

そして、

期待通りにいかないことを

裏切られたと感じて

相手や自分を責め続ける。

 

 

そんなことが起きてはいないでしょうか。

私は起きていました、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、実は、失望してからが、

その人との関係のスタートなのです。

それが他者でも、自分自身でも。

 

 

なぜなら、

期待しているうちは、

その人をそのものを見れていないから。

相手そのものではなく、

自分がその人に抱いた「イメージ」こそが

「相手」だと思っています。

 

 

イメージ、つまりそれは

あなたが心に描いたもの。想像です。

 

 

 

 

 

 

例えば、恋愛で例えるなら、

まだ相手との距離がそう近くなく、

片想いしている時は

相手に対する良いイメージばかり

思い浮かびます。

 

 

相手を好きな理由ばかり探すから、

良いところばかりがフォーカスされて

拡大される。誇張される。

一番楽しい時期かもしれません。

 

 

あの人なら、

きっとこう言ってくれるはず、

あの人なら、

きっとこんなことはしないはず、

 

 

と。

少女漫画やドラマの

イメージを引用しながら

夢と期待を膨らませて。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、

実際に付き合うことになって、

距離が縮まってくると、

本当の相手が見えてくる。

 

 

もちろん相手だって、

(自分だって)

最初は取り繕うことも

あるかもしれません。

 

 

でも、段々と、

ポロポロと、ふとした瞬間に

素が出てくる。

 

 

優しくない部分が出てくる。

誠実ではないところが見え隠れする。

だらしないところが見えてくる。

頑固な部分が見えてくる。

見栄っ張りだったところがバレてくる。

 

 

などなど。

そして幻滅し、失望する。

怒りも湧く。

 

 

期待通りを丁重に提示するか、

「裏切り」の罪を弾糾するのか、

はたまた、見切りをつけて

お別れすることになるのか、、、

 

 

 

 

 

 

 

でも、本当は、

相手は最初から、何年も前から

そういう部分があったのです。

 

 

期待によって

見えなかっただけ。

気が付かなかっただけ。

 

 

それは、悲劇でもなんでもなく

むしろ、本当の相手との関係を

築き始めるチャンスなのです。

 

 

続けるにしろ、

終わりを告げるにしろ。

 

 

 

 

 

 

相手は、

漫画のキャラクターでもなければ

物語の登場人物でもない。

生身の人間。

 

 

「良い人」「優しい人」「誠実な人」

一辺倒なはずもない。

 

 

そういう部分だってあるかもしれない。

でも、そうでない部分もあっても

おかしくない。

 

 

それは相手だけでなく

自分も同じはず。

 

 

「良い自分」しか認めない人は

相手に対しても

「良い部分」しか認められない。

それではいつまでたっても

相手そのものとの関係は

築くことができない。

 

 

 

 

 

 

 

ということで、

まずは大いに失望して、

等身大の相手と、

等身大の自分とで

関係を築いていくのは

どうだろうか。

 

 

失望というのは、

「イメージ」の世界から脱却して

地に足をつける

とっっっても重要なプロセスの1つなのでした。

 

 

image