こんにちは!

NLPコーチのゆいです。

 

今日もこちらのブログに来て頂いて

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

中学3年生の冬。

通っていた学習塾の先生たちは、

受験前でピリピリモード。

 

 

それでも、

思春期真っ只中の男の子たちは

ザワザワとおちゃらけたり喋ったり。

浮かれていた。

 

 

そんな状況に痺れを切らしたのは

数学を担当していた元ヤン先生。

浮かれる生徒たちに向かって

静かに、話し出した。

 

 

「お前らなぁ、それでいいのか。

将来、〇〇(ある職業)でいいのか。

それしか選べない人生になって

いいのか。」

 

と。

 

 

塾の帰り道、車の中から、

私はその〇〇の仕事をする人を見ながら、

切なくなったのを覚えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先生の話は、

その後もずっと私の心に残った。

 

 

そしてそれは、

私の中の「おそれ」を生み出す

価値観になっていった。

 

 

将来の職業は自分の能力で決まるのだ。

 

職業の選択肢がなくなるというのは

「負け」ということなのだ。

 

自分は「あの職業でいいのか?」

と言われるような職業に就きたくない。

 

「この職業にしか付けなかったんだ」と

人から切ない気持ちで思われたくない。

 

人はそんな風に、他人の仕事を見ているんだ。

 

 

こんな価値観を持っていたら、

将来に向かって、

まるで綱渡りでもしながら

「落ちたらどうしよう」と

怯えながら進むように

緊張感を持っても無理はない。

 

 

15歳の時に聞いたその言葉を

私はずっと、「おそれ」として

大事に握りしめてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、あれから20年。

今年になって、

私はあの先生の言葉から

別のものを受け取った。

 

 

それは、先生の想い。

言葉の奥にある想いである。

 

 

先生はどんな想いで

目の前の15歳の子ども達に

そんな話をしたのだろう。

 

 

おい!

「今」が大事なんだぞ。

後悔しても後戻りできないぞ!

幸せな人生を歩むんだぞ〜!!

 

 

本当のところは分からないけれど

こんな気持ちだったのではないだろうかと

想像する。

 

 

なぜなら、

今、私自身が子ども達に対して

そう思うからである。

 

 

日々の小さな小言でさえも、

我が子の幸せを願えばこその

小言なのである。

 

 

 

 

 

 

 

言葉よりも、

その言葉の奥にあるものが

本当に伝えたいことである。

その言葉を伝えている当の本人も

無自覚である場合が多い。

 

 

自分が言っていることが、

自分の言いたいことだと思いがちだが、

本当に言いたいことは

もっと奥にある。

 

 

以前の私は、

元ヤン先生の言葉を

言葉通りに受け取り、

「おそれ」を受け取った。

でも今の私は「優しさ」を受け取った。

 

 

幸せになれ!

 

 

そんな想いを

真剣に、感情を震わせながら

伝えてくれる存在がいること。

それがどれほど幸せなことか

今なら分かるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ言葉でも、

そこから何を受け取るかによって

「優しさ」にも「おそれ」にもなる。

 

 

もし自分を締め付けるような

誰かの言葉があるなら、

 

 

そう言わざるを得ない理由があるとすれば、

相手はなぜそれを言ったのだろう。

どんな想いで言ったのだろう。

それを伝えた時、

相手はどんな気持ちだったのだろう。

本当は何を伝えたかったんだろう。

 

 

そう想いを馳せてみると、

別のものが見えてくるかもしれない。

 

 

大抵それは、

誰かから誰かへの「優しさ」なのだ。