基本的に何事にも、向上心というものがさっぱりない。


憂黎さんです。




Twitterでふと思った事。
「そういえば、憂黎の名前にしてから本気で描いた絵を上げてないよな?」

思い立ったが吉日(使い方あってんのかこれ)
珍しく本気で絵を描きはじめた。

まだ完成してないけども。






実は少し楽しい。
funじゃなく、interestingの方の意味の楽しい。


元々、「上手くなりたい!」「楽しくてやめられない!」みたいな気持ちがあまりない。
と、言うかある程度を超えるとさっぱりなくなるし、理解も出来ない。
そんな感じが故にモチベーションの維持が滅茶苦茶難しい。


例をあげよう。


「楽しいから絵の道に来たんでしょ?」
いいえ、そんなわけないでしょう。楽しい一心なら絵画に行きますよ。

「楽しい事ならどれだけでも出来るでしょう?」
いいえ、漫画読み放題で1週間とか言われたら流石に地獄です。無理。飽きる。

「何で上手くなりたいって必死にならないの?」
ある程度使えて周りに発信するのに困らず、受験で合格できる実力があればそれ以上を欲する理由は見当たりません。


こんな調子である。
何度大人を怒らせ、何度怒鳴られ殴られたかわからないトピックである。

感情的になるのが苦手なのだ。
やり始めて没頭する事は出来ても、それが楽しくて楽しくて寝るのも勿体ない!!なんてわけはない。普通に寝たい。

これがやる気がないって事になるなら、俺は何事にも一切やる気がない人間なのでそういう事でいい。




ただその、感情的な楽しさ(=fun)は大してない代わりに、探求的な楽しさ(=interesting)は人並み以上にある。
自称するくらいだ、自信はある。


知らない技法を知るのは楽しい。
どう見せるのか、どう捉えさせるのか、そのために何が必要か。そう考えるのは楽しい。
どうすれば綺麗に見えるか意識するのは楽しい。

俺にとっての「楽しい」はそういう「楽しさ」である事が多い。


言い換えるなら、好奇心。
俺はとても好奇心旺盛な性格と言われればあながち間違いでもないのだ。
だから飽き性も併発するわけだが。





俺にとってのモチベーションってのは、そういう「探求、研究」的な意味で保持されるもので、それが所謂世間が言うところの「やる気」ってものに繋がる。

それを嫌がる人ってのは、多分一定数いるのだろう。
「気持ちがない、打算的」
言われ過ぎて嫌になったような言葉だ。
結局そういう感情論を押し付けてくる人達は探究心からくるモチベーション維持を容認できないだけなんだろう。
多分、そういう人達にしたらこの感情の動きが得体がしれないから。




まあ正直、モチベーション維持の仕方なんかどうだっていいとは思うんだ。
ただそれを否定される機会が多いもんだから、俺はずっと悩んでるし、こうやって吹っ切れたようなブログを書いてみたところでそのうちまた同じことで悩むのだ。

感情論が先に来ることが多い、感覚でやっても特に支障がない。そんな芸術の世界にいるから尚更なのかもしれないけど。





そういえば、この前予備校の先生と面談した時にこんな事を言われた。

「君面白いね、感覚的に生きて絵描いてって奴が多い中で論理的に生きてる。行動とか考えとか結論に理由を全部つけてくる。珍しいから逆に面白いんだよ。」

褒められてんのか貶されてんのかわかんねぇな……。

まあ、この通りなんだよ。感覚的に生きられないし、行動できない。

ちょいちょい直感を頼りにする事はある。自分の感覚は信じようと思う。
でもそれはかなり珍しい。珍しいからこそ、ここぞって時に使える。だから信じる。
信じる為に理由がこうやってあって、その時直感で決めた事に後から理由をつけてみることも多い。後から振り返るとわかりやすい理由があったりもする。

分析して、理由を作って、それを説明できる形にして……って作業が好き。

絵も同じように描いてる。
描いて、他人のものを見て、人が言った感想とかも覚える。ここまでは感覚的に量を処理していく。
そこから考えて、論理的に筋が通るようにして、考えた事をまた感覚的に掴み直して絵にする。
その絵を論理的に見直して、おかしい所を直す。

結局、感覚的にやらなきゃどうにもならない実技の域があるし、それを論理的に説明してくれる人もあまりいないから感覚に頼るところ自体は多い。でもそれをそのまま感覚的に行動に移す人の方がはるかに多い。

こうやって書き出すとよくわかる。
楽しいなんて感情でなんかやってない事が。
掴んで考えて、理由を作って放出して、その過程が楽しいだけだ。






それに気が付いたのが、最初に書いた本気で絵を描いてみよう~な話からだった。

本気でやるからにはそこそこのクオリティにしなきゃいけないし、なるはずだ。
で、それはネットに上げるけど、俺はアナログ絵しか描ける環境がない。
いつも気になる事はなんだろうな、ああそうか、写真撮って多少加工すると絵の印象がかなり変わる。あれは気持ち悪い。
なら時々カメラを通した所で確認をしよう。色味も変わってくるし。
色味を考えるなら、遠近感だとか、質感だとか、光源だとか、普段デッサンで気にしてる感覚と同じ感覚で描いていける。
ならその感覚で色を乗せていくならどう乗せるか、例えばどの色を混ぜてみるだとか。

と、延々考えたわけだ。
考えながら描いたわけだ。

前に使ってた名前の頃から俺を知っていて、久々にまた繋がって俺の絵を見た(と、言っても目元だけあげた)人に「上手くなったな」って言われた。
そりゃそうだ、上手く見えるように描いたからな!!!!


気が付いただろうか。
楽しいのは「絵を描く=手を動かす=その実力が評価される」ではなく、「絵を描く=手段を考える=上手く反映されたと実感する」であると。
どっちも平たく言うと「絵を描くのが楽しい」になるが、滅茶苦茶意味とモチベーションが違うと。





気が付いた瞬間が、実は一番楽しくて気持ちが良かった。





「絵が好きで楽しいですか」
と聞かれると毎回俺は困る。
相手の求めている感覚の「好きで楽しい」と、俺の感覚の「好きで楽しい」が違うと何となく思うから。
そこで下手に「好きだし楽しい」と答えると、相手の感情論を延々聞かされる未来が見えるから。

好きで楽しい、それに嘘はないけど。
なんだか嘘ついてる気分になるから。


説明するのが面倒だから、なんだか結局黙るしかないのだ。
説明して、わかってもらえた事もあまりないのだ。
わかる人だけわかればいいの極みなのだ。
そういう話はあんまり好きじゃないけど。


自分にとっての「楽しい」の正体は……いや、それだけじゃないな。抱いた感情の正体は、きっと人それぞれだから、言葉ってのはなんだかやっぱり不自由だ。




モチベーション維持に使えそうな事に気が付いたと同時に、やっぱりそういう自分の感情に関わる事に他人や環境の影響なんか受けるもんじゃないなと再認識した。