ろじゃロス | あるひあるときあるとこで

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ロジャー・フェデラーの試合の「いつ、どこで」を残しつつ、感ずることを思いつくままに

2016年の7月から2017年1月まで、約6か月。
その間に、
山に登ったよ、きれいだろ?とか、
ピッパ、結婚おめでとう、みるかと一緒に来たよ、とか、
それなりのファンへの報告(気遣い)をしてくれていたとはいえ、
今年のマイアミ緒戦敗退から芝シーズンまでより、期間として遥かに長かった、
その上、膝がどの程度実戦に耐えるかも未知数だった。(今も復帰に不安はつきまといますが)
それでも個人的にはそれほど待つのが辛くなかった。
寂しい気持ちより「とにかくしっかり休んで!」という願いが強烈で、他の感情をすべてかき消していたせい、かもしれない。

いっぽう今年は、全豪後に1位になるべく、急遽ロッテルダムに出場、IWも出てマイアミも、という流れで、慌ただしいツアーにフル参戦していた長年(意識した03WB以来16WBまでの14年間)の感覚がすっかり蘇ってしまい、
全休となった(これは英断だと、頭では深く納得している)クレーシーズンに、ついつい姿を探しては喪失感に沈むのを無意識下で繰り返し、結果的にひとりで勝手に疲弊している、感じがする。。

寂しい。
とても。

どの選手のファン(というかオタ?w)もきっと同じだろうけど、
ろじゃのプレーができる選手はほかに誰一人いない。

他の誰かが良いプレーをしていると、ああ巧いな、とか、この調子で伸びて、と素直に思う。
でも、ろじゃの代わりにはならない。
断じて。

彼は常に不思議な美しさを纏ってコートに立つ。
弛緩と緊張とをうまく織り合わせ、巧みな技をいとも軽々と連発する。

かほどの自然さで観衆に披露するには、さしものろじゃも大変な量の基礎訓練と実地の練習とを積み上げているのだと、見るテニのわたしがようやくはっきり意識した(ぼんやり知ってはいた)のは、迂闊にも、彼が13年に深刻な腰痛(背中下部の痛み)に見舞われてから、、、ナサケナイ、

考えてみれば当たり前のことなのに、
カウチで寝そべってるだけだよ、とグーフィーみたいにおどける笑顔の明るさに釣られて、うっかり一緒になって浮かれ、
ただただ、なんて軽やかなんだと愛でてきた、

それがろじゃの願いでもあると、今でも思うから、
敢えて、錯覚に酔ってしまうのもひとつの手だ。

ピンポンみたいな速度で打ち返し続け、あっという間にネット際に詰めてポイントを決めにいく姿に、
激しい打ち合いから一転、サービスライン辺りから、驚異的に勢いを殺いだドロップを落とすのに
3連続でエースやサービスポイントのみで得点し、1分そこそこでピンチを脱してしまうのに、
そしてなにより、その間ずっとギラギラと静かに(逆接的だが)殺意のような威圧感を漂わせつつ、実に挙措が優美なのがろじゃだ。

そんなテニス選手は、ほんとにひとりも見たことがなく、
テニス選手がそんな風である必要など微塵もないのも、厳然たる事実で、
無用であるにもかかわらずずっと貫かれてきているからこそ、わたし達(敢えて複数形にしてみる)は一層に美しく感じているのだとも思う。

書いてるときりがなくなる(苦笑)。

要するに、誰よりも戦闘的で、誰よりも激しい勝ちへの執念を漂わせているのに、見事に洗練されたろじゃが、とてつもなく恋しい、というだけの戯言。

内容がなくてごめんなさい。
もう寝ます。
おやすみなさい。