連日のように、障害者の雇用に関する問題が次々に出てきています。

 

 私はこれまで占い師結喜としてブログを書いてきましたが、これからしばらくは占い師結喜としてではなく、私生活において障害者として生きている私自身のことを書いていこうかと思っています。

 

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 私が発達障害であるとわかったのは、2006年(平成18年)のことです。当時息子は4才で、転園した先の幼稚園で先生から「この子はもしかすると多動性障害かもしれません。」と指摘されました。

 

 私は幼稚園の先生の言葉を聞いて「多動性障害ってなんぞや?」と思い、発達障害に関する情報を本やネットから手当たり次第調べました。すると衝撃の事実が。それは息子だけが障害を持っていただけではなく、親である私自身が障害を持っていたのです。

 

 私は茫然自失となりながら、「あぁ・・・、ごめん。君(←息子)が病気じゃなくて、私が病気だったんだ。君に私の病気が遺伝してしまったんだね・・・。」と絶望感で号泣してしまいました。

 

 自分が障害者であった事実、そして今後どのように生きていかなければいけないかわからない不安感で目の前が真っ暗になりましたが、それでも私はほんの少しホッと安心したのです。

 

 なぜかと言いますと、私はそれまでずっと自分の頑張りや努力が足りないから、人よりも劣っているのだ。異常だと思われるのだ。人より劣っているから罵られて当然。生きている価値すらない人間なんだ。と本気で思っていました。周りから言われる言葉も家族や学校の人たちから「他の人とは違う。」「変わっている。」「異常者。」「トラブルメーカー。」など常に否定的なもので、私は生きている価値すらないと8才のころから自傷行為と自殺未遂を繰り返していました。

 

 このような人生を歩んできた私ですが、人の何十倍も頑張っても人並みになれない。努力しても人より劣った能力である原因が私の頑張りや努力が足りないわけではなくて生まれ持った障害のせいだったとわかったことは私にとっては救いでした。

 

→ ② 発達障害を受け入れて、特性を活かしながら生きる。に続く