私は自分自身のことも息子のことも高機能広汎性発達障害(高機能PDD)ということを公言しております。(「高機能」というのは知的障害がない発達機能障害で、通常の子達よりも知能指数が高いことが多いようですが、日常の行動、社会生活に順応出来ない等の問題を持っています。)

 今から約6~7年前に息子の幼稚園の先生が、「もしかして○○君は多動性ではないか?」と息子の行動を指摘してくれて、病院の検査を受けた結果、先生のおっしゃるとおり実は息子が発達機能障害であったことが発覚しました。

 私は「発達機能障害」(発達障害)という言葉にショックもかなり受けましたが、そのおかげで私は息子が「発達機能障害」であることに向き合わなければならないと腹をくくり、それからはどうすれば人様に迷惑をかけなくてすむか?、また人並みの日常生活を送るにはどうすればいいか?ということを真剣に考え、来る日も来る日も発達機能障害に関する本を読み漁りました。


 そうしていく中で私は気づいたのです。

 息子が発達機能障害なのではない。

 実は私が発達機能障害だったのだ。と。

 そして、私の遺伝のために息子が障害者になってしまったのだ。と。

 その事実をつきつけられた時、私は号泣しました・・・。そのことを認めることが悔しかったし、またそれによって今まで自分や周りを振り回して傷つけていたのだと知ったからです。

 正直、この事実を認めることはかなり勇気がいりましたが私は自分が発達機能障害だったことを認めたことによって、今まで生きてきていた中での違和感が実はこの発達機能障害のためだったことに納得し、これ以上人様に迷惑をかけなくてすむよう、そして社会に順応・適応できるようにと私と息子の発達障害克服のためのトレーニングと対策が始まりました。


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広汎性発達障害・・・自閉症、アスペルガー症候群、注意欠陥多動性障害(AD/HD・ADD)、学習障害(LD)、レット症候群、小児期崩壊性障害、特定不能の広汎性発達障害など


 これらの発達障害は先天的な脳の機能障害によって、通常の人があたりまえに出来る行動があたりまえにできない(困難を伴う、感じる)障害です。通常この兆候は7歳までに表れるようで、早い子だと3歳のころには傾向が表れます。(合併症で表れることが多いです。)


それぞれの障害に特徴がありますが、

自閉症またはアスペルガーの大きな特徴としては、

① 対人関係において意思疎通がうまく出来ない。勝手な自己解釈、行動。(コミュニケーション障害)

② 社会性に乏しく、その場の状況を判断できない。(その場の空気がよめないため、その場にふさわしくない行動をとってしまう。)

③ 行動や活動、興味の対象に著しく偏りがある。またはパターン化する。


AD/HDの大きな特徴は

① 思いついたらすぐ行動をしてしまい、その先に何があるかを考えられない。(未来予測ができない。)

② 多弁、他動で気が散りやすくじっとしていられない。(うろうろ歩きまわるなど)

③ 不注意だったり、物忘れがひどかったり、一つのことに集中していられない。



 私は子供の発達障害者は見ただけで「あ、この子は○○(←発達障害名)だな。」とある程度わかります。なぜなら私は息子の発達機能障害を知るために何十冊もの本を読み漁り、障害に関する知識を多少なりとも持っていたからです。本に記載されているような障害の特徴が特に子供の場合だと顕著に表れています。

 特に授業参観は格好の観察の場です。うちの息子が通常級に行っていた時、授業参観などでクラスの様子を見ていると、その特徴をモロに出している子が必ずクラスに数名います。そして、私は思うのです。たぶん、その子の親は自分の子供が発達機能障害であることを知らないのでしょう。そして、この子たちは自分の特性を知らないまま、大人になっていくのでしょう・・・。


 もし、自分の子供が他の事ちょっと違うなと感じていても、その事実を受け入れられない親はたぶんその傾向や特徴、性格を「個性」の一言で闇雲にするのかもしれません。




 現在は昔に比べ、こういった傾向を持つ子供達がどんどん増えてきます。私はその大きな原因の中に人間関係の気薄さが上げられると思います。

 実は昔もこういった傾向の人々がいたのだけど、そのころは今より濃厚な人間関係の中で生活していたために(大家族や上下関係の繋がり)があったために、誰かがその人が変な行動をした時に「こういった時にはこうすればいいよ。」と教えてくれる人がいたからです。今は、「こういった場合にはこうすればいいよ。」と教えてくれる人が周りにいなくなってしまったためにその傾向がより強く目立ってしまうのではないかと思います。


 健常者と障害者の大きな違いは「こういった場合、こうすればいいよ。」と言われたことが出来るか出来ないかが大きな違いになってくると思います。

 障害者の場合、注意されたこと、怒られたことを何度も何度も繰り返してしまいます。それはなぜかというと「脳の機能障害」を持っているからです。注意されたとしても、脳の機能障害によりそれが出来なかったり、忘れてしまったり・・・。


 それはその人の個性の問題ではなく、脳の特性の問題なのです。だからその人がダメだという前に、脳の機能障害をもっていないかどうかに着目すべきだと思います。

 そしてそれに気づいたら、その障害は先天性のものなので完全に克服はできないかもしれませんが、「知る」ことで軽減できるように努力できるようになるのです。

 ここに気づかないとその人は自分の一生を台無しにしていくのでしょう。


 そしてこの事実を受け入れることができない親はたぶんこのように言うでしょう。「子供なんだからこのくらいはあたりまえなのよ。」とか「ちょっと個性的だから。」と。

 実はこの「子供なんだから・・・」とか「個性的だから」という言葉がの今後、非常に問題になってくるのです。なぜならこの言葉によってその子供たちは自分が「発達機能障害」だという事実を知らぬまま成人してしまうからです。問題なのはここからです。その子が成人してからも自分が普通だと思って生活していると、そもそもが普通ではないのだから会社に入ったときにいろいろと問題が生じてくるのです。

 たとえば社会人としてあたりまえであろう「報告・相談・連絡」ができないとか、時間に非常にルーズだとか、取引先の人と話がまったく噛み合わなくて相手とトラブルを起こしてしまうとか、自分のした約束を守れないとか・・・。そして社会不適合のまま周りを振り回し、自分を苦しめ続けるのです。そうして、社会でさまざまなトラブルを起こしていくうちに、そのトラブルを起こしている張本人はきっとこう思うでしょう。

 「俺は(または私は)悪くない。理解しない相手が悪いのだ。」と。


 ・・・察しの良い方はもうおわかりだと思うのですが、そうです。これが実は私でした。

 私は自分が発達機能障害だと気づくまでは、「相手がわかってくれない。」と思っていたのです。でもそうではないのです。「相手がわかってくれない。」のではなく、私が私のことをまったくわかっておらず、私自身がたくさんの人々に迷惑をかけまくり、そして自分も私と関わりを持ってくれていた人々を傷つけていたのです。


 私は子供が障害機能障害だということを幼稚園の先生に指摘されたことで、私のこれまでの過去で起きていた様々な理不尽だと感じていたことが全部「発達機能障害」で繋がり、そこで気づいたのです。そう、私のこれらの行動はすべて脳の機能障害によるものだったのだ。と。そしてこの気づきと、それを受け止める勇気、覚悟が私に大きな人生の転機を与えてくれました。そして私は思ったのです。息子には私のように社会に出てから苦労してもらいたくない。と。

 その後、私達親子は社会に適応できるように毎日発達機能障害の訓練を行っています。